三日くらい前から急に暑くなった。梅雨明けが発表されたのが十六日で、それまで雨天曇天続きだったはずが、ここまで夏の空に急変するものなのか。外を出歩くと、長袖を着ているひとはほとんどじぶんしかいない。たまにカーディガンを羽織っているひとがいる程度だ。いつも長袖を着ている。外は暑いが、電車のなかやさまざまなお店のなかは冷房が効いていて寒いくらいで、袖がないと耐えられない。外であっても袖があった方が陽射しも避けられるし、なにより肌を出したくない。ノースリーブの服を着るひとも増えてきたが、ぜんぜん感性が違うなと思う。いっそ外に出たくもない。
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四月末くらいから書いていた小説。この土日で九割方いいかなと思えるくらいまで詰めることができた。気は早いがなんとなく肩の荷が降りて、気兼ねなく読みたかった小説を読んだりプライムビデオで適当に表示された映画を観たりを楽しめた。選考に残るような内容ではないし、おもしろいかというとじぶんで読んでも別におもしろくはない印象があるが、出来はさておきとりあえず書いて賞に応募するのだと決めていたから、じぶんに与えた課題を達成できそうなことの安堵がある。文藝の最新号に掲載された樋口恭介氏の小説を読んだ。クレメンス・J・ゼッツの『インディゴ』を読み始めた。どちらも虚実が入り混じったフィクションで、じぶんが書いたものは虚の記述があまりにも少ないなと気づいた。まだ時間はあるから改稿するのも手だが、反省として次回に活かした方がが身の丈に合っているかもしれない。『インディゴ』に関しては難しくてよくわからないまま読んでいる。きっとこの先もよくわからないままページをめくりつづける作業になる予感がある。そういう修行みたいな読書も久しぶりだ。
コメントする残業で帰りが遅くなり、二十一時四〇分頃に電車に乗るとおどろくほどに空いていて、二〇時で飲食店が閉まったりなんだりしていることは思っていたよりひとの動きに影響を与えているのだと目に見えて感じられた。金曜の夜、陽気に飲み歩いていたひとらはどうやって過ごしているのだろう。帰宅して、冷房を起動させ、開いていた窓を閉めたら指を挟めた。右手の中指、爪のちょうど中央付近が黒く滲む。指を抑えながら数分悶える。これだけ痛烈な感覚を味わったのはひさしぶりな気がする。先日に酒を飲み過ぎて嘔吐したときの鈍いしんどさとはまったく異なる、鋭利に全身を突き刺すような痛みの信号。耐えるのではなく受け入れながら馴染ませるように痛みを捉えると、不思議と心地よさすら感じられるようになる。たぶん熱い湯に浸かる感覚に近い。指に違和感を残しながら、素麺を食べて、寝た。水族館に行く夢を見た。たくさんのカメが泳ぐ水槽を眺めて、何枚かの写真を撮った。何名かの知人にも遭遇した。目が覚めて、夢に出てきた「神奈川県立水族館」を検索してみたが、そんな施設はとうぜん存在しない。
コメントするもう容赦なく冷房を働かせている。電気代が気になるが、暑さや湿度の不快感を我慢するよりはましだと思って気にしないことにした。ウェザーニュースライブを見ていたら、キャスターが寝ている間も冷房をつけていると言っていて、それだと思い、風量を最弱に設定して冷房をつけたまま寝た。快適に眠れたが、若干寒かった。多少寒かったおかげで、タオルケットの感触が気持ちよかった。まあでも設定温度は高めでいいかもしれない。
コメントする昨晩に遅くまで通話をしていたせいで、今朝は昼前まで起きられなかった。ここ一年くらい、ひとと話すときの半分くらいは通話だ。相手の顔が見えない状況で会話をすると、誰にどの話をしたのかわからなくなる。この話は前にもしたかもしれないけど、と前置きをして話し始めて、あとになってこの話をしたのは別のひとだったなと気づく。しかしその別のひととの会話も通話で行っていたはずで、相手の顔も見えなければ話をする環境──座り心地の悪い自室の椅子に座ってPCと壁とに向き合っているという景色──も同じだから、どうしても会話の記憶が混在してしまう。記憶は周囲の環境に格納されていて、外部の刺激をトリガーに喚起させられる記憶の予感が先立って、そうしてようやく思い出したことを思い出すのだと思う。しかしだとするならば、顔を合わさずに話す機会しか得られないことの損失は思っている以上に大きいのかもしれない。今日は労働がなかったから、早くに起きて作業をしようと思っていたが、からだをまともに動かし始めたのは昼を過ぎてからだった。十五時頃にやっと外出をして、カフェで書きかけの小説を書き直す。応募の締め切りが今月末であるにもかかわらず、後半の多くを書き換える必要があるような気がして滅入ってしまう。隣に座っていた大学生のおんなのひとが友人とおしゃべりをしている。彼女らは共通の友人について話をしていて、そのひとがどうも「趣味は彼氏」と言っていたらしく、その一言についてずっと疑問を呈しながら笑っていた。今週末こそ書くものを書いて終わりにしたい。さっさと書き上げて応募をして、焦燥感から解放されたい。応募できたところで何にもならないんだけどね。
コメントする数ヶ月前に心療内科を受診したときにもらった抗不安薬があることを思い出し、あまりに疲労や苛立ちが続いているから、前日の就寝前に服薬した。薬を飲んでまもなくからだが弛んで心地がよかった。ふだんどれだけ余計な力みが生じているかがよくわかる。筋肉が溶け落ちていくような感覚とともに眠った。今朝もからだが弛緩しているようで、朝の支度を多少面倒に感じたが、しかしそれはだるさとは異なる感覚でそこまで悪いものではなかった。出勤してからも声はまともに出るしいつも不快感を感じて嫌気がさすひとを相手にしてもふつうに話せた。昼間に極端な眠気に襲われることもなかった。薬の効果は六時間程度とのことだったが、一度自律神経が落ち着きからだの力みも抜けたことでフラットな状態が持続してくれたのだろうか、夜まで比較的落ち着いて過ごせた。とはいえだ、薬で心身を整えてまで労働に駆り出されるということ自体は到底受け入れられることではなく、やはり怒るべきことだ。薬が必要なのは、ほんとうに私なのか? のうのうと生きるひとびとに苦しめられる繊細なひとびとがいる。被害はつねに生まれていて、加害はつねに無自覚だ。そういう私もきっと何かの加害に及んでいて、そのことに一生気づくことはない。薬が必要なのはいったいだれだ。帰宅をして、食事をして、眠くなったから横になった。二時間以上も眠ったようだった。シャワーを浴びて、寝直した。夢をたくさん見た。いくつかの場面で、中学高校の同級生やネットで知り合ったひとらがごちゃごちゃに登場した。その登場人物のすべてが、もうしばらく直接顔を合わせていないひとたちで、今後顔を合わせる機会があるのかもわからない。感染症の影響もあり、元々少なかったひとと会う機会はさらに激減し、もはや陳腐な場でしかないSNSにも辟易して距離を取り始めている。そんな状況だから、たとえそれが夢でしかなくても、他者との豊かな関わりを見れることにうれしさを覚える。
コメントするからだのだるさと頭痛が続くからずっと眠っていた。時間を眠りに費やして、せっかく体調がまともになってきたかと思えばもう夜で、またひと眠りしたら明日から労働。労働してまた疲れて、ようやっと労働のない日にたどり着いたかと思えば眠ることしかできず、時間ばかりが過ぎていく。あれをやろうと思っていたのに、これをやってみようと思ってたのに、どれも何もできない。惰性的に持続しては落ちぶれていく自らの生活にも世の中の動向にも腹が立つ。怒りを露わにしたくとも怒りの矛先がどこにもない。愚衆のなかで愚衆として生きることしかできないのなら疲れ果ててまで生を維持する必要もない。でもたぶん、怒りの対象やぶつけるあてがあったところで、怒りの発露に慣れていないこのからだでは結局何もできないのだろう。穏やかに、大人しく、真面目に、思いやりを持って、周囲に配慮しながら、なるべくひとを傷つけないように、そんな毛布みたいな言葉が浸透したこのからだでは、規律や規範、えらいひとの言うことに従順に従うことしかできない。そうやって自分が傷つくことを恐れて嫌なことを視界から遠ざけて、自分はまともであると信じ込ませながら腐敗から目を背ける。すべてが欺瞞だ。くだらない。くだらない事柄なんかに従う必要がどこにある。迷惑をかけられてなお、他人に迷惑をかけてはいけないなんてそんなはずがないだろう。迷惑なのだ、腹立たしいのだ、不愉快なのだ、それらは自分にとって害悪なのだ。なぜ隣人をぶん殴ることが許されないのか。少なくとも、自分はすでにあらゆるひとびとからぶん殴られているのだから、殴り返すくらいは試みてもいいはずだ。物理的にぶん殴るだけがぶん殴ることであると思ったら大間違いで、一般にまともな振る舞いにおいても加害性ははらんでいる。従順な態度で他者をぶん殴るくらいなら、自らの意思および攻撃性の把握のもとでぶん殴った方がひとつの人格として成熟している。その点、自分は未成熟で、そのことにまた腹が立つ。
コメントするスーパーで寿司が二割引だった。ちょうど寿司を食べたいと思っていたところだったから、スーパーの寿司に頼りなさを感じながらも買った。食べたら意外とおいしい。だけど刺身でも買ったほうが安上がりで満足もできるようにも思う。エビスビールを飲む。食べ終わるとすぐに眠くなってベッドの上に寝転がる。そのまま眠ってしまっていつの間にか朝だった。十二時間近く眠ったからからだが重いのか、からだが重いから十二時間近く眠ってしまったのか、判断がつかない。汗で肌がベタベタする。シャワーを浴びよう。人口の少ない地方に移住したい。
コメントする 昨日は日記を書くのを忘れてた。眠る前は朝に書けばいいやと思っていたが、就寝時間がいつもより一時間ほど遅かったこともあり眠くて起きられなかった。三月下旬くらいから日記を書き続けていたが、特にここ最近は当初の熱量をもって書けていないし、そのうち途切れるかなと思っていた。やっぱり途切れた。疲れている。できれば早く職を辞めて、またしばらく労働から遠ざかりたい。でもそうもいかない。しんどいことも腹立たしいことも面倒なことも、どれもほんとうに多くて嫌になる。つぎはひととかかわらなくて済む職を選びたい。
毎日午後になると眠くなる。業務中に眠るのはまずいから、昨日の出勤前にドラッグストアで熱さまシートを買った。昼休憩の終了直前に、熱さまシートを太ももの付け根に貼った。眠気に効果があるのかはわからないが、冷たくてなんとなく気持ちがいいし、いつも眠気と同時に訪れる下腹部の熱っぽさも緩和され、実際眠くなることなく過ごせた。今日もおなじように熱さまシートを貼った。だけど眠かった。なんなんだ。ほんとうに、ムカつくことが多い。