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日記230112

わけあって、ということもないのだが、なんとなく鏡でじぶんの顔を眺めていて顔が左右非対称だと思った。証明写真を撮ったときもいつも顔の歪みが気になってしまう。左右の顔がどれほど異なるかを検証すべく、iPhoneで正面から自撮りをして左右を半分ずつ順番に隠してみると、なんだか右の方が疲れて見える。左はなんとなくキリッとしていて、そういえば高校生くらいのときはこっちの顔だったななんて気がしてくる。
左右の歪みはおそらく視力のバランスの悪さに起因していて、左はほとんど見えないくらい視力がわるいから無意識で使用を避けており、そのせいで眼周辺の筋肉に弛むような疲労感が出ていないのだと思われる。視力のバランスが悪いからとうぜん眼鏡のレンズの度も左右で大きく異なり、だから眼鏡をかけると余計に目の大きさが不均衡になる。なんだかんだ言っても顔面が整っている方が何かとウケはよいという現実はあって、顔面が整っているとは左右の均衡がとれているということであって、要するに顔面が不揃いなじぶんはそれだけで他人にあまりよい印象を与えてない可能性が多分にあるということである。そんなことを考慮しても仕方がないのだが、ただパッと見でよい印象を与えられていないのだという自覚がなければないでコミュニケーションの目測を誤ってしまうおそれも否めない。少なくとも履歴書には左右非対称な顔写真を貼らなければならないのだから。
しかしいずれにしても、どちらかといえば、じぶんの顔を見るのはもっぱら他人であり、じぶんはじぶんの顔を見る機会も少ないし実際じぶんの顔がどうなっているかなんてよくわかっていないということの非対称性の方がおもしろい。これはこれで、じぶんの顔を見る機会が少ないと思うのは鏡をまじまじと見る習慣がないというある種のジェンダーバイアスに由来しているのではないかとか指摘もできるのだが、鏡で見るじぶんの顔は実物ではないし、証明写真に写っている顔がじぶんであることをじぶんは確認しようがないのは誰だって同じであるはずだ。証明写真と本人の顔を並べて見比べるのは他人にしかできない。ではじぶんにとってじぶんの顔とはいったいなんなのだろうかと、なんとなく鏡でじぶんの顔を眺めてみる羽目になるわけで。

カテゴリー: 日記