カフカ『審判』を読んでいた。冒頭の窓ごしに好奇の目をむける老婆やドアの向こうから監視人が現れる描写からはじまり、以後繰り返し(執拗に?)ドアや窓を挟むように主観人物であるヨーゼフ・Kを含む誰かと誰かが配置されるという構図が描かれる。その点が気になり始めたのは中盤からであったため、ドアや窓のモチーフに重点を置きながら読んだり細かにメモをつけたりはできなかったのだが、終盤に「法の掟」という挿話もあり、これが「掟にたどり着くにはいくつかの門を進む必要があり、それぞれの門には門番がいて、門番は侵入をぜったいに許さない」といった逸話のようなもので、書き振りからして作品の主題に関わる類のものであるとみてよさそうだ。となると、ドア・窓・門といった空間をさえぎると同時に橋渡す領域(とそこへの立ち入れなさ)を半ばスルーして読んでしまったのはなおさら惜しいことで、しかしこの一回性こそが小説を読む、とりわけ長編小説を読むということなのかもしれない。気になった箇所が気になったまま残り、けれど再読するのもやや億劫で、せめてひとに話してみようと思ってみてもうろ覚えでままならず、せいぜいいつかまた読むときには注視しようという脆い希望にすがるくらいだ。テキストは確かにここにある。何度も読み直すことができる。ただここにあるのはあくまで可能性であって、わたしにとってはこの小説を読んだ一回の経験がこの小説をこの小説たらしめてしまう。
日記230114
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