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日記230117

基本的に怠惰で自宅にいるときは寝転んでばかり、やろうと思っていたことも手つかずのまま日を終えてしまうことが多い。けれどやろうと思っていたことややらなければいけないことを書き起こしてリストにすると意外ときっちりからだが動く。言ってしまったことや書いてしまったことを自分から切り離すことができず、規範として現れてしまったそれらにどうしても従わなければいけない気になる。自分の発言に責任をとろうとする意識が強いといえばなんだか聞こえもよさそうだが、実態はただたんに規範に従順であろうとする哀れな性質が発露しているだけだ。そういえば前職で働いているときは適当な嘘でごまかしや言い訳ができるひとはいいなと思うことが多かった。その場しのぎをその場しのぎで済ませることができるのも一種の技術みたいなものなのだとおもう。じぶんにはその技術がない。そう発言した私が私を私たらしめてしまうと素朴に錯覚してしまう。教育において日記や作文の指導は多くの場合、自意識や内面の形成への働きかけとして行われる。義務教育くらいの段階であればこう言った・こう書いたをベタに自身に引きつけてしまうこともあろうが、逆にいえば、ある程度歳をとればこう言った・こう書いたに対して客観性を持てるようになるのが一般的なのかもしれず、いまだこう言った・こう書いたに主観性の密着を感じてしまうあたりに未熟さがあらわれているとみることもできる。言葉を正しく扱おうとする態度には怖さがある。
とはいえ文字に起こしたおかげか靴を磨いたりシャツのしわを伸ばしたり古い新聞紙をまとめて縛ったりといった雑務を完遂できたことはひとまずよかったとしておきたい。

カテゴリー: 日記