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日記210523

 ウェザーニュースライブをずっと見ているせいで本を読む時間も、文を書く時間も、見たいものを見に行く時間もろくに取らず、苦労して時間をかけて取り組んで教養を培おうとする営みのあれこれが生活から振り落とされている。それゆえに日記に書くようなこともなく、ここ数日書いた日記は驚くほどに中身がない。貴重な二十代の時間をウェザーニュースライブに費やしてよろしいものか、と考えたとき、あきらかに生き方を間違えていると言わざるをえない。しかし他方で、ウェザーニュースライブを見て得られる高揚感や愉快さ、気分の向上は確かにあり、番組内で語られるふだんじぶんではしないような雑談、たとえば年間行事や今日が何の日であるかとか、ある食べものがおいしいというだけの話や休みの日に何してるという話、そもそも天気や気象の話が縁のなかったトピックでもあり、そうしたふだん主に関心のある文学や思想やあるいはサブカルチャーなどの言葉とは距離の離れた話を聞いて、この手の話題は職場などで雑談として振られた場合には嫌悪して無視する類いであるにもかかわらず、画面を見ているだけという外野の立ち位置とコメントを書き込むという間接的な関与の仕方によって、おもしろさを感じたり影響されて話題にあがった商品を買って現に生活の一部を変化させられたりしている。ワイドショーを堕落的に眺めて不毛な好奇心を煽られて実際にからだを動かされて頽落した日々を送るという、ひとつのだらしなさや救いようのなさがここにはあり、この態度はじぶんがいつも批判している対象そのものであるのだが、一冊の本を読んだだけでは思考のあり方も言動のあり方も生活のあり方もさほど変わらないのに対し、ウェザーニュースライブのようなものにこんなにも生活を書き換えられてしまうという事実をたんに否定するだけではたしてよいものか。ウェザーニュースライブの求心力がどこにあるかといえば、やはり天気を中心としたキャスターや気象解説員やアプリのユーザーや番組の視聴者間で行われるコミュニケーションの力が大きいように思う。ある小説を読んでも、ある映画を見ても、ある美術作品を見ても、それを共有する相手や場所はあまり得られない。少なくとも、そういう「界隈」に属していない、「界隈」を通過したことのない、まったく外部のひとりの客(もしくは消費者)でしかないじぶんは、文化芸術に触れて感じたことや培ったものがあってもそれが生活に直結することはない。政治について学んだとしても、政治運動に参画することもなく、何の足しにもならない選挙権をたまに行使することしかできない。多くのひとは選挙に行けというが、選挙に行っても何も変わらない、というのはまぎれもない生活の実感だ。生活の実感を得られないものに関心を持ちつづけることはむずかしい。あるカテゴリの運動や活動の当事者でなければ、文化芸術も政治もただの消費物でしかなく、しかも生活から遠く離れたところで消費されるものでしかない。したがって文化芸術を消費することは一時的な現実逃避にしかならなず、一夜だけ輝いて翌日には跡形もなくなる祭りのようなものだ。たまの晴れの場で誤魔化しながら、世に対する不満や怒り、不快感や苛立ちを抱え続けるしかないことやその無力感もまた生活の実感なのかもしれないが、でもじゃあしょうがないねと片付けてしまうこと自体もまた新たな苛立ちを生み出してしまう原因であり、それをあきらめで解決することは正しいのだろうか。こうした孤立した状況、孤独な状況を、じぶんはよく「引きこもり」と呼んでいるわけだが、ネットで書き込みをすること、それも匿名で参加者の多くが誰でもないものとして関わる匿名掲示板やニコ生のコメントの参入障壁の低さは、引きこもりにとって安らげる居場所になりうる。さまざまなことを雑に、無責任に書きあい、それは何の議論にも対話にもならないが、しかし他者に向かって言葉にする機会が確かにあることによって生活の実感は更新されていく。ネットの外側ではテレビのワイドショーなんかも担っているだろうその役割、要約すれば、コミュニティの形成可能性や第三者の参入可能性を、文化芸術や人文知などのジャンルやコンテンツを包摂するコミュニティは担保してくれないのだろうか。歴史の上に成り立つ文化芸術や人文知は、外部の人間が安易に参加できるものではないことは承知ながら、その一方で、長い歴史に育まれた文化を土台に日常言語を更新しうるような場所があってもよいような気がするがどうなのだろう。一般市民が教養に到達するための入り口にまず純粋なおもしろさが有効であることは、ウェザーニュースライブを見て気候や地球科学の本を買ったこの頃を振り返れば私的な実感として確かである。たとえば東浩紀の思想やゲンロンの事業は、こうした問いや課題に対する運動でもあるようにも思える。大学に閉じこもるでもなく、YouTubeで数字を稼ぐでもない、第三の道を提示すると、東氏もたびたび口にしている。だからゲンロンから出ている本を読んだりゲンロンカフェのイベントを見たりは積極的に行っていて、そこで知った固有名詞についてまた調べたり本を読んだりすることも必要で、ウェザーニュースライブばかりを見てはいられない。

カテゴリー: 日記