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日記210630

 客の立場になるとすかさず態度が乱暴になるひとをみて、いやなやつだとたいへん不快に思ったが、サービスの提供者-受領者という関係においてしか相手に対して優位になれない──優位劣位という言い方が適切でなければ余裕がないと言い換えてもよい──から、いざそういう場面になったときに振る舞い方がわからず横柄な、横暴な、傲慢な、乱暴なコミュニケーションをとってしまうということもあるのかもしれないとも思った。ただ、そう思ったから同情するなんてことはなく、その不快なひとは勤務先のひとであり、連日顔を合わせなければいけないのだからただたんに不快である。乱暴なコミュニケーションは日頃からのことでありほんとうに不快。昨日も今日も明日も不快でほんとうに気分が悪い。知性もなければ倫理観も欠如していてほんとうに関わりたくない。と、とにかく不快だから基本的には無視している。ろくに働けないひとだから無視し続けていても業務的にも何ひとつ問題はなく、不快感と嫌悪感が増幅してしまう分だけまともに相手にする方が問題がある。これ以上不快感が増すと直接批判してしまいそうだから無視することは妥当なはずだ。こうして不満を書くことすら不快であるのだが、声で愚痴を吐く先もないから仕方なく書いている。いくら無視しようと近くに存在しているから不快感は募るばかりで、こうして他人に対し不快だなんだと思うことは無礼だと捉える向きもあるのかもしれないが、もちろんどんなひとであろうと自由に振る舞い自由に暮らしてよいのだから他人の自由や公共の福祉を侵さないかぎりにおいて勝手にやってくれてよい一方で、同様に誰かを不快に思うこともまた個人の自由だ。我慢の限界に至るまで徹底的に無視したい。こうして周囲から相手にされない(どころか知らぬ間に憤らせる)ような状況が長らく続いているのだとすれば、やはり客になったときに店員にイキるという形でそいつの不甲斐なさが現れてしまうことは十分にありうるように思う。

カテゴリー: 日記