からだのだるさと頭痛が続くからずっと眠っていた。時間を眠りに費やして、せっかく体調がまともになってきたかと思えばもう夜で、またひと眠りしたら明日から労働。労働してまた疲れて、ようやっと労働のない日にたどり着いたかと思えば眠ることしかできず、時間ばかりが過ぎていく。あれをやろうと思っていたのに、これをやってみようと思ってたのに、どれも何もできない。惰性的に持続しては落ちぶれていく自らの生活にも世の中の動向にも腹が立つ。怒りを露わにしたくとも怒りの矛先がどこにもない。愚衆のなかで愚衆として生きることしかできないのなら疲れ果ててまで生を維持する必要もない。でもたぶん、怒りの対象やぶつけるあてがあったところで、怒りの発露に慣れていないこのからだでは結局何もできないのだろう。穏やかに、大人しく、真面目に、思いやりを持って、周囲に配慮しながら、なるべくひとを傷つけないように、そんな毛布みたいな言葉が浸透したこのからだでは、規律や規範、えらいひとの言うことに従順に従うことしかできない。そうやって自分が傷つくことを恐れて嫌なことを視界から遠ざけて、自分はまともであると信じ込ませながら腐敗から目を背ける。すべてが欺瞞だ。くだらない。くだらない事柄なんかに従う必要がどこにある。迷惑をかけられてなお、他人に迷惑をかけてはいけないなんてそんなはずがないだろう。迷惑なのだ、腹立たしいのだ、不愉快なのだ、それらは自分にとって害悪なのだ。なぜ隣人をぶん殴ることが許されないのか。少なくとも、自分はすでにあらゆるひとびとからぶん殴られているのだから、殴り返すくらいは試みてもいいはずだ。物理的にぶん殴るだけがぶん殴ることであると思ったら大間違いで、一般にまともな振る舞いにおいても加害性ははらんでいる。従順な態度で他者をぶん殴るくらいなら、自らの意思および攻撃性の把握のもとでぶん殴った方がひとつの人格として成熟している。その点、自分は未成熟で、そのことにまた腹が立つ。
日記210711
カテゴリー: 日記