数ヶ月前に心療内科を受診したときにもらった抗不安薬があることを思い出し、あまりに疲労や苛立ちが続いているから、前日の就寝前に服薬した。薬を飲んでまもなくからだが弛んで心地がよかった。ふだんどれだけ余計な力みが生じているかがよくわかる。筋肉が溶け落ちていくような感覚とともに眠った。今朝もからだが弛緩しているようで、朝の支度を多少面倒に感じたが、しかしそれはだるさとは異なる感覚でそこまで悪いものではなかった。出勤してからも声はまともに出るしいつも不快感を感じて嫌気がさすひとを相手にしてもふつうに話せた。昼間に極端な眠気に襲われることもなかった。薬の効果は六時間程度とのことだったが、一度自律神経が落ち着きからだの力みも抜けたことでフラットな状態が持続してくれたのだろうか、夜まで比較的落ち着いて過ごせた。とはいえだ、薬で心身を整えてまで労働に駆り出されるということ自体は到底受け入れられることではなく、やはり怒るべきことだ。薬が必要なのは、ほんとうに私なのか? のうのうと生きるひとびとに苦しめられる繊細なひとびとがいる。被害はつねに生まれていて、加害はつねに無自覚だ。そういう私もきっと何かの加害に及んでいて、そのことに一生気づくことはない。薬が必要なのはいったいだれだ。帰宅をして、食事をして、眠くなったから横になった。二時間以上も眠ったようだった。シャワーを浴びて、寝直した。夢をたくさん見た。いくつかの場面で、中学高校の同級生やネットで知り合ったひとらがごちゃごちゃに登場した。その登場人物のすべてが、もうしばらく直接顔を合わせていないひとたちで、今後顔を合わせる機会があるのかもわからない。感染症の影響もあり、元々少なかったひとと会う機会はさらに激減し、もはや陳腐な場でしかないSNSにも辟易して距離を取り始めている。そんな状況だから、たとえそれが夢でしかなくても、他者との豊かな関わりを見れることにうれしさを覚える。
日記210712
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