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日記210316

 昨日の日記で夢に東浩紀氏が出てきた話を書いたせいか、今朝の夢にも東氏が出てきた。地震があったのはその夢をみる前だったと思う。揺れで一度目を覚ましたが、まどろみのなかの振動にちょっとした心地よさを覚えながらまもなく眠った。津波を引き起こさない程度の地震が日常に溶け込んでいる。ただやみくもに大地が揺れるだけでは夢は壊せない。壊れてくれない。

 そういえば年度末だなと気づき、そういえばいまの勤務先と結んでいる雇用契約は年度末までだったなと思い出した。いまのところ特に契約更新の話はない。雇用契約書を確認すると「契約更新:あり 但し、勤務態度や能力による」との記載がある。微妙な書き振りにどうも判断がつかない。調べてみると勤務期間が一年未満であれば三十日前の解雇予告も不要らしい。私はいまのところに勤め始めてまだ半年も経過していないため、契約終了直前になって雇い止めを申告される可能性も十分にある。勤務態度云々に関しても、勤務を開始してすぐからいまに至るまで体調が不安定で、そのせいで何度か欠勤もしていて、加えてこの頃は勤務中に激しい眠気に襲われがちでもあり、勤務したところでろくに働けていない。うとうとしている。この有り様では雇い止めでも仕方ないとは思うし、自身の感覚としても、フルタイムで働くこと自体がいまのじぶんには無理かもしれないとまあ本気で思っている。あまり世間体は気にせずに、まずはじぶんにできる生活を見つけたい。

 もし失職したらとりあえず好きなだけ眠ることにしよう。見れるだけの夢を見よう。それが悪夢だっていい。肉体を引き裂かれるような絶望感も日常では体感できない。怖い、苦しい、痛い、悲しい。そんな感情を生々しく受けとることから遠ざかって久しい。そのまま夢のなかに置き去りにされたって構わない。どうせそんな願いが叶うはずもなく、あれよと現実に引き戻されるのだから。夢見ることを夢見るくらい許してほしい。好きなだけ夢を見て、目を覚ましたら書きたいものがある。書きたいもののために読みたいものがある。悠々自適に無責任に生活して、いつか生活ができなくなったら、これはそういうものなのだと思うことにする。そう思えるように、そういうものに陥るまでは、じぶんがちゃんと生きるためのじぶんにできる生活をさがしたい。

 雇い止めに夢を見ている。できることならもっと地に足を着けていたいのは内緒である。

カテゴリー: 日記