目覚める前のどこかで、声をかけられていた気がする。呼ばれる名前が確かにわたしであるという手応えを感じながら、それでも目を開ける前にはすでに、その声は遠くに溶けてしまっていた。ふとした呼びかけに反応し、ふとした呼びかけを返す。そんな往復だけが、この世界でわたしがわたしでいられる理由なのかもしれない。
体は鈍く重い。先日のストレッチや筋トレの余韻が、背中や腰に張り付いている。けれど、その鈍痛すらもどこか安心感を与えているようだった。筋肉が疲労とともに強くなっていくように、日々の些細な負荷も、わたしをわたしとして確かにしていく。
部屋で横になっていたとき、ふいにあのときの彼女の顔を思い出す。彼女は呼びかけられることも、こちらから呼びかけることもなかった存在だった。ただ見つめるだけで、ただ遠くにいるだけだった。名前を呼ぶことも、名前を呼ばれることもなく、届くことのない距離にあり続けた。しかし、だからこそいまもなお、彼女への思いはわたしの中に生き続け、過去から未来にわたしをつなぎ止めている。
距離があるからこそ、届いたときに確かめられるものがある。わたしはあの頃、距離そのものに怯えていた。言葉は届かないかもしれない、あるいは届いたことで拒絶されるかもしれない。そうして、わたしは距離に言葉を閉ざした。しかし、言葉は本来、距離そのものだ。わたしとあなたを分け隔てるその隙間に、声は落とされる。そして、そこから応答があれば、わたしとあなたをつなぐ糸のように、その声が形を持ちはじめる。
カレーうどんに納豆と卵を落とし、かき混ぜながら、こんなことを思う。食べることすら、体に何かを届け、体が受け取るという応答なのかもしれない。わたしは言葉を交わし、食べ物を摂り、そうやって絶えず距離に何かを送り続けている。届くかどうかわからなくても、わたしはそれを続けるしかない。
ショルダードレスを買おうか迷っている。鏡に映る自分の姿を想像しながら、これは似合うのか、これを着て外に出る自分はどう見えるのか、そんなことを考える。衣服をまとうことも、わたしと世界の距離を調整する手段なのかもしれない。
呼ばれる名前、呼びかける声。過去から届く思い、届かずに漂う思い。わたしは今日も、距離に言葉を送り続ける。それがわたしを、わたしにしている。