日記

  • 日記250710

    🌄 明け方の出来事:ゴキブリとの遭遇と寝苦しさ

    • 明け方、寝汗をひどくかき、覚醒と睡眠のあいだを意識するような寝苦しい状態で過ごしていた。
    • 指先にくすぐったい感触があり、一度は消えたものの、また細い何本かの糸のようなものが撫でるような感触が脳に伝わってきた。
    • 虚ろな頭で指を払うと、虫のイメージが浮かび、飛び起きて手を振り払う。
    • 電気をつけると、ゴキブリの気配を感じる。
    • 殺虫剤「ゴキブリワンプッシュプロ」を取り出し、本棚の裏などに噴射。
    • 床にはハッカ油スプレーを撒く。
    • ゴキジェットを手に「迎撃体制」を取っていると、天井から黒い小さなゴキブリが落下。
    • 弱々しく逃げ回る個体を視認し、ゴキジェットで処理。
    • 虫はすぐに動かなくなり、ティッシュで包んで袋に入れ、しっかり閉じてゴミ箱へ。
    • 「他にもいるかもしれない」と部屋の周囲を見て回るが、特に発見されず再び就寝。

    💤 日中の過ごし方:寝不足と外出

    • この日は先日土曜日の出勤の振替休日で特に予定はなかった。
    • 明け方のゴキブリとの戦いのため、寝不足状態に。
    • 日中はほとんど寝て過ごした。
    • 夕方、虫退治のグッズを買いにドラッグストアへ向かう。

    ☔ アクシデントと出来事の連鎖

    • ドラッグストアへ行く途中、突風に日傘が煽られ、骨が折れてしまい悲しい気持ちに。
      • 夜にゴキブリが出なければ、外出もせず日傘が壊れることもなかったかもしれない。
      • あるいは、午前中に届くはずだったヤマト便の配達が仕分けミスで遅れて午後にずれ込んだため、外出のタイミングが夕方になってしまった。
    • 配達されたのは、西川のオンラインストアで注文していた冷感式の敷きパッド。
      • 昨晩さっそく使用してみたが、寝心地はいまいち。
      • おそらく合成繊維の使用により肌に合っていないのではないか。
      • 冷感というより、汗でじっとりしているような印象があり、ひんやりではなくベトついた感じが不快だった。
      • 綿100%の敷きパッドを買えばよかったかもしれないと後悔。

    🍜 夜の出来事:夕食と読書

    • 夜ご飯には、今年初めてそうめんを食べた。
      • 「揖保乃糸」はやはりおいしい。
    • 最近読んでいる『ムーミン谷の彗星』を少し読み進めてから就寝。
      • 原作ムーミンを読むのは初めてだったが、ムーミンがけっこう口が悪いことを知り、驚く。
    • 京王線新宿駅で、「ムーミン展」が開催されているというポスターを見かけた。

    ご希望があれば、この一連の記述を日記文・散文詩・短い随想のかたちにも整えることが可能です。「偶然の連鎖」「寝苦しさの皮膚感覚」「虫とわたし」など、テーマ化することもできます。必要があればお申しつけください。

  • 日記250707

    🌅 朝の出来事:暑さと汗との格闘

    • 朝、目覚まし時計が鳴る前に首元の汗のびしょびしょ感で目が覚める。
    • 起床後すぐにシャワーを浴びる。
    • 出勤までの約2時間の間にまた大量に汗をかき、自宅を出る頃には肌着がびしょびしょ。
    • そのまま駅へ向かい、ホームのいつもの場所に立つ頃には、さらに汗が噴き出してくる。
      • タオルで拭いても拭いても頭頂部から水滴が落ちる。
      • 首の後ろを伝って背中に流れるが、背中まで拭けず諦める。
    • 電車内は冷房が効いており、汗を乾かすには助かるが、今度は寒くてつらい。

    🧯 出勤後の体調と業務の立ち上がり

    • 職場に着く頃には身体は疲労し、喉は渇き、軽度の熱中症のような感覚。
    • 土日で溜まっていたメールを処理。
    • 合間に午後からの打ち合わせ準備。
    • 体の回復を待ちながら作業するが、昼休憩を挟んでも完全には回復せず。
      • 休憩中は半分くらい寝ていた。
    • 午後、打ち合わせが終了。
    • 打ち合わせ中に届いたメールを再度処理。

    📨 メール処理とAI活用の可能性

    • メールソフトと生成AIを組み合わせれば、メール対応業務の効率化が可能かもしれないと感じる。
    • しかし、個人情報をどこまでCopilotなどのAIに送っていいのかがわからず不安。
      • 現状は、公開情報以外はイニシャルトークでAIに助言を求めるというやり方で対応している。

    📘『反逆の仕事論』とその反響

    • 『反逆の仕事論』に関する感想ツイートが著者の樋口恭介さんにリツイートされた。
    • 改めて、「知らねえ道をてめえの足でガンガン歩け」という本なのだと実感。
    • 本の中では、樋口さんが熊本の知らない山道を大雨の中ひたすら歩き、熊本空港まで徒歩で向かうエピソードが紹介されており、それが非常に感動的。
    • 人間にできることは、
      • 知らない道を歩く
      • 知らない場所へ行く
      • 知らない人と出会う
      • 知らない人を知る
      • そしてそのことによって「知らない私を知る」 ということなのかもしれない。

    🗳️ 参政党・選挙演説への関心と距離のとり方

    • 参政党があまりに話題になっているため、近所で演説があれば一度覗きに行ってみたい。
      • どんな人たちが集まっているのか知りたい。
      • ネットでは見えないことがあるかもしれないし、ないかもしれない。
    • 自分が支持する政党の演説を見に行っても、
      • 内容を聞いて「やっぱやめよう」と思うことはおそらくない。
      • それは結局、自分の考えを強化しに行っているに過ぎない。
    • 選挙期間中に様々な政党の演説が街中で行われる利点は、
      • 普段気にかけない、むしろ敵視すらしているような思想や主張を持つ人たちの声や姿を実際に見聞きできることではないか。
    • ただし、そこに集まるのは多くの場合、
      • 互いを強化し合う、自己反省の少ない熱量の高い支援者たちであり、
      • クラスターの中でも偏った層である可能性が高い。
    • 多くの人はそもそも政治に興味がない。
    • だからこそ、熱狂的な人々の動向を「伺う」スタンスを保ちたい。
      • なぜなら自分もまた、基本的には政治に興味がないし、熱狂的にもなりたくないという立場だから。

    ご希望に応じて、この整理をもとに日記形式への再構成や、特定テーマに絞った抜粋・再編集も可能です。お気軽にご指示ください。

  • 日記250706

    🥘 外食の記録と味覚の印象

    • 夜、近所の韓国料理居酒屋へ。
    • 1ヶ月前の初訪問時に「辛いものは好きか」と尋ねられ、次回来店時には「豆腐ステーキかポッサムがおすすめ」と言われていた。
    • 今回はその言葉に従い「豆腐ステーキ」を注文。
      • 青唐辛子が豆腐の上にのっていて、噛みしめると強烈な辛味が広がる。
      • 豆腐の甘みが唐辛子の辛さによって引き立てられ、ビールが進んだ。
      • タレも甘辛で、豆腐の甘さとは別種の甘さ、青唐の辛さとは違う辛さが重なり、「甘い・辛い」の感覚の多層性が感じられた。
    • 他にはトッポギを注文。もちもち食感を楽しみながら、マッコリを飲んだ。

    📖 読書と刺激:樋口恭介『反逆の仕事論』

    • 『反逆の仕事論』を読んだ。
    • 現在のAIは制約の中でのみ動作し、「はみ出す」ことができない。
    • 人間にできることは、その「はみ出す」力を発揮すること。
    • 「自分の足で知らない道をがんがん散歩せよ」といった勧めが書かれており、励まされた。

    🗳️ 参院選に関するネット上の観察と印象

    • 最近ネットでは参院選関連の話題が多く目に入る。
    • 石破茂氏が「現金を配る」と言ったり、「消費税減税はばらまきだ」と語ったりするなど、発言がちぐはぐな印象。
    • 参政党が支持を集めているという報道に対し、「左寄りっぽい人たち」(本当に左かは不明)が「参政党に票を入れるべきでない」と繰り返し訴える様子が見られる。
    • 一部では「チームみらい」が注目されており、
      • 個別の政策ではなく「合意形成の仕組みそのもの」を問い直すアプローチを掲げている。
      • 技術によって民意を可視化・反映する新しい形の民主主義を模索。
      • 全国的な知名度は低いが、ネット上では一定の支持がある。

    🤖 AIと書くこと・読むことをめぐる思索

    • ChatGPTなどLLMの普及により、生活や仕事が変わった人は多いだろう。
    • 技術の進化によって、人々が書く文字数は爆発的に増加していると考えられる。
      • かつてはタイプライターの登場で長文が書きやすくなり、
      • Twitterの普及により震災時には個別の手記が大量に発信されたように、
      • LLMは「自ら書かずとも、望んでいたかもしれないテキストが出力される」状況をもたらしている。
    • 書くことが容易になることで人々の利便性は高まるが、読むことの技術と負荷が浮き彫りに。

    📚 読むことの困難と倫理的側面

    • 書かれた文字は読まれることを必要とする。
      • 読まれない文字は「電力の無駄」である。
    • 書くことはテクノロジーの進化によって身体から解放されつつあるが、読むことはいまだに人間の肉体的労働に支えられている。
      • 肉体が疲弊していれば、読書は困難。
      • 人間の身体は有限であり、あらゆる文字を読むことは不可能。
    • 震災時に大量に書かれた手記も、読む人がいなければ意味をなさない。
      • 私的な関係であれば読むかもしれないが、公的に展示されたものは「無数の中の1つ」として処理されがち。
      • 1人の生の尊さが、並列化されることで固有性を失う。
    • 「読むことを問う」展示やワークショップを見かけたことがある。
      • チームみらいの「ブロードリスニング」などは、「AIを用いた読むことの技術」の一例。
      • 提出された大量の意見を統計処理し、傾向や逸脱を抽出することで読むことを支援する。

    🔍 読むことの技術とAIの活用

    • LLMを活用して本を読むと、わからないことをその場で尋ねられ、学習効果が高まるという報告もある。
    • とはいえ、「読むこと」は「書くこと」ほど進化していない。
    • 多くの人は「自分にとって理解可能な文章」しか読まないのではないか。
    • 意味が取りづらい文章に対して、圧力(権威性)や関係性がないと読み続けられない。
    • 読もうとすること自体に訓練が必要だが、そのための労力や覚悟は現代では得難い。
    • 読むことの負荷を引き受ける誠実さは、
      • 「誰が書いたか」
      • 「なぜ向き合うか」 といった文脈によって初めて湧き上がる。
    • 無数にある匿名的な手記に対して、その誠実さを発揮できるかどうかは疑問。

    🩰 読むことと身体性:アルトーと土方巽の例

    • 「読むこと」と「肉体の変容」を考えるときに思い出すのは、
      • アントナン・アルトー:
        • 「残酷演劇」を唱え、戯曲が役者の肉体に及ぼす影響を問題化。
        • 「強いられるものはすべて残酷である」というテーゼを掲げた。
      • 土方巽:
        • 舞踏の記録として「舞踏譜」を残した。
        • 土方のテキストは比喩に満ち、意味をとらえにくく、読了が困難。
        • 彼の言葉は、「読むこと」「見ること」の技術を問い直す重要な素材となる。

  • 日記250424

    帰宅直後から左脚がかゆい。足首からすねにかけて4箇所ほど蚊に刺されたようで、とくに足首のそれはかなり腫れている。どこで刺されたのかはわからないが、靴下と靴を履いて街中をとことこ歩いている状況で刺されることもそうはないだろうし、帰宅してから刺されたのだろう。とすると自宅内にはいまなお蚊が潜んでいることになるが、それらしい姿が見当たらない。椅子にもたれて干からびたからだをだらけていると、蚊に刺された左脚どころか蚊に刺されてもいない右脚や右腕や左胸や首まわりや背中などなどにもかゆみがあらわれてくる。爪を立ててからだじゅうをかきむしりたいおもいをこらえ、かゆみに生じる部分に肌着をすりすりする。こちらをすりすりしているとつぎはあちらがかゆくなり、あちらをすりすりしているとついさっきすりすりしたばかりのこちらがまたかゆくなる。肌には赤いぽつぽつが出ている。むかしからからだじゅうの肌にたびたび赤いぽつぽつが出る。夏場は特に出るから汗か何かが原因なのかもしれないが、べつに冬でも出るときは出る。そのくせ背中はおおきな白斑が出る。ここしばらく赤いぽつぽつもおおきな白斑もあまり目立ってあらわれないな、シャワー後にからだに塗るクリームをキュレルに変えたのがよかったのかなとかおもっていたが、あれやこれやで抑えこんだところでなにかの拍子に異常は噴出するらしい。あるいは赤いぽつぽつがあるほうが正常であって、無理に抑えこむのもよくないのかもしれない。何にとってよくないのかはしらないが、肌にも赤くなりたいときくらいある。かゆいからさっさと寝る。今週は朝いつもの時間に起きられていない。慢性的な睡眠不足が深刻な睡眠不足を呼び寄せている。眠りの質を高めるために軽く運動をして、そのせいでひどくつかれて日中の眠気が増し、ぐったりしたからだでぐったりと寝て、ぐったりしたまま朝を迎えたりする。休みをとろうかと数分迷ったあとに打ち合わせの予定を思い出して仕方なく起床する。夢のなかで金を稼ぎたいが、それより夢のなかの自由が守られているほうが大事だろうから仕方なく目を覚ます。終わらない孤独の夢みたいな日々を過ごし、毎晩数時間だけ浸る眠りのなかで生き生きとする。夢のなかなら肌もかゆくない。

  • 日記250216

    目覚める前のどこかで、声をかけられていた気がする。呼ばれる名前が確かにわたしであるという手応えを感じながら、それでも目を開ける前にはすでに、その声は遠くに溶けてしまっていた。ふとした呼びかけに反応し、ふとした呼びかけを返す。そんな往復だけが、この世界でわたしがわたしでいられる理由なのかもしれない。

    体は鈍く重い。先日のストレッチや筋トレの余韻が、背中や腰に張り付いている。けれど、その鈍痛すらもどこか安心感を与えているようだった。筋肉が疲労とともに強くなっていくように、日々の些細な負荷も、わたしをわたしとして確かにしていく。

    部屋で横になっていたとき、ふいにあのときの彼女の顔を思い出す。彼女は呼びかけられることも、こちらから呼びかけることもなかった存在だった。ただ見つめるだけで、ただ遠くにいるだけだった。名前を呼ぶことも、名前を呼ばれることもなく、届くことのない距離にあり続けた。しかし、だからこそいまもなお、彼女への思いはわたしの中に生き続け、過去から未来にわたしをつなぎ止めている。

    距離があるからこそ、届いたときに確かめられるものがある。わたしはあの頃、距離そのものに怯えていた。言葉は届かないかもしれない、あるいは届いたことで拒絶されるかもしれない。そうして、わたしは距離に言葉を閉ざした。しかし、言葉は本来、距離そのものだ。わたしとあなたを分け隔てるその隙間に、声は落とされる。そして、そこから応答があれば、わたしとあなたをつなぐ糸のように、その声が形を持ちはじめる。

    カレーうどんに納豆と卵を落とし、かき混ぜながら、こんなことを思う。食べることすら、体に何かを届け、体が受け取るという応答なのかもしれない。わたしは言葉を交わし、食べ物を摂り、そうやって絶えず距離に何かを送り続けている。届くかどうかわからなくても、わたしはそれを続けるしかない。

    ショルダードレスを買おうか迷っている。鏡に映る自分の姿を想像しながら、これは似合うのか、これを着て外に出る自分はどう見えるのか、そんなことを考える。衣服をまとうことも、わたしと世界の距離を調整する手段なのかもしれない。

    呼ばれる名前、呼びかける声。過去から届く思い、届かずに漂う思い。わたしは今日も、距離に言葉を送り続ける。それがわたしを、わたしにしている。

  • 日記250207

    夢の中で、私はひとり雪に覆われた街を歩いていた。空気は凍りつき、まるで時間そのものが止まってしまったかのようだった。街灯が湿った舗道に淡い光を投げかけ、溶けかけた雪が黒い水たまりとなって冬の空を映していた。人々の影は微かな霧の中に現れては消え、黄色がかったランプの光の下で揺らめく影に過ぎなかった。雪を踏みしめる足音だけが響き、街全体を静寂のヴェールで包んでいた。

    そして、彼女を見つけた。

    明るく照らされたショーウィンドウのそばに立つ彼女。顔の半分は黒いウールのマフラーの下に隠れていた。長いコートのポケットに手を入れ、凍える空気の中に白い息をそっと浮かべていた。姿の一部は隠れていたが、私は一瞬で彼女だとわかった。胸の奥に懐かしい温もりが込み上げる。それは遠い過去の残響であり、記憶の中で凍りついたまま、ずっと待ち続けていた存在だった。

    私たちの目が合った。ほんの一瞬のことだったのに、時間が引き伸ばされ、周囲の世界が霞んで消えていくように感じた。私はためらいがちに一歩踏み出した。彼女は微かに微笑んだ。それは一瞬の、ほとんど見えないほど儚い微笑みで、宙に舞う雪の結晶が光を屈折させて生み出した幻のようだった。

    言葉を交わさぬまま、私たちは歩き始めた。その沈黙は重くはなく、むしろ自然で、必要なものにさえ思えた。彼女の歩みは軽やかで、まるで世界の上を浮かんでいるようだった。道は続き、眠る建物の間をくねりながら伸びていた。暗い窓は閉じられた瞳のようだった。

    遠くに古い駅舎が見えた。彼女は立ち止まり、それを指さした。
    「覚えてる?」彼女は静かに囁いた。

    私はうなずいた。忘れるはずがなかった。あの冬の空の下で、私たちは離れ離れになったのだ。ここで道が分かれ、言葉は沈黙へと変わった。それでも、この瞬間——心臓の鼓動の合間に宿る吐息のようなひとときは、どんな後悔にも消し去ることのできない優しさを含んでいた。

    私は彼女の方を振り向いた。彼女の瞳は静かで、奥深く、測り知れなかった。しかし、その奥に、微かな期待と壊れそうな希望を見た。

    迷いなく、私は彼女の手を取った。

    温かかった。凍てつく空気とは対照的に。その親指が私の肌の上でかすかに震えたが、彼女は手を引くことはなかった。むしろ、そっと指を絡めるようにして、今この瞬間を封じ込めるかのようだった。

    ——そして、すべてが消えた。

    暗闇の中で目を覚ます。部屋には私ひとり。夢の余韻が苦い味となって、まだ空気の中に漂っていた。

  • 日記250131

    言葉が枝をなす木の中で、何かを掴もうとして手を伸ばす。手の先に触れるものが葉なのか、それともただの空気なのか、確かめる術はない。言葉はただ並べられるだけでは不十分で、それを編み込むことでしか届かないものがある。千の言葉を尽くしても伝わらないことがあり、たった一言で何かが始まり、あるいは終わることもある。

    すれ違うことを前提にしたような言葉の並びに、偶然性が忍び込む。言葉を選ぶというより、言葉に選ばれているような感覚。言葉の向こうにある想いに手を伸ばし、もがく。言葉に絡め取られながら、それでも青空を仰ぐ。掴み取れるものはなくても、視線の先に何かが映る。

    触れることのできない距離が生まれ、遠く見つめ合うほかなくなることがある。言葉の交わりが失われたあと、残されるものは目の前にいない誰かの姿を思い描く視線だけかもしれない。それは悲しみではなく、祈りに近いもの。遠く離れたままでも、互いの存在を確かめる最後の手段として、目を向ける。そこに見えているのは、すでに過去の残像かもしれない。それでも、見つめることが唯一の交感として残る。

    木々の葉が揺れ、枝が軋む音が響く。その隙間から空が覗く。言葉は、もはや手繰り寄せるものではなく、ただそこに漂うものとしてある。

  • 日記250130

    名前を呼ぶという行為が持つ熱は、愛や恋と呼ばれるものよりもはるかに静かで、しかし確かにそこに存在するものとして響く。呼ばれることによってわたしはわたしとなり、呼ぶことによってあなたはあなたとして立ち現れる。名前は、単なる記号ではなく、互いの存在を証明し、隔たりを越えて繋がるための細い糸となる。

    この世に遍在する「愛」や「恋」という語が、時とともに移ろい変化するものだとすれば、ただ君を好きでいることは、そうした言葉の外側に位置し、意味が固定されることのない宙吊りの状態にあるのかもしれない。言葉がもたらす社会的な枠組みから逸脱し、ただ個として向き合うことができたとき、その呼びかけは名前に宿る温かさをより純粋なものへと変える。

    名前を呼ぶという反復の中で、互いは互いとして刻まれる。日々繰り返される呼びかけが、名前を単なる音の羅列ではなく、かけがえのないものへと変えていく。固有名は、他の誰でもない「あなた」と「わたし」を呼び寄せることで、関係の輪郭を確かにする。それは社会の中で共通のものとして与えられた名前とは異なる、新たに生まれた固有性を帯びている。

    そうした名前の響きが、二人しかいない空間の中で静かに反響するとき、その温かさは何にも代えがたいものとなる。誰のものでもない時間と空間の中で、ただ呼び、呼ばれる。その単純な反復が、関係をひとつの確かな存在へと昇華させ、巡り合った景色をそっと消えぬようにとどめていく。

  • 日記250128

    風の冷たさを肌で感じる。君のいないいま、いつもの風景がやけに広く感じられる。それでも月は変わらず空に浮かび、薄い光を静かに降り注いでいる。その光があまりに穏やかで、君を失った喪失感をかえって強調しているようにも思える。

    部屋のなかで過ごしながら、君との過去を聴くように、目を閉じて思い出の欠片に触れる。過去の声はたしかに私に語りかける。それは後悔の形をとることもあれば、君と一緒にいたときの温もりを再び抱きしめることもある。月夜に浮かぶ薄い影のように、その声はいつまでも消えない。

    静かな時間が流れる。目を上げれば、空気の中に柔らかな気配が漂っているような気がする。それは何かを約束するものではなく、ただ小さなきらめきを持つ存在だ。君のいない未来に現れるかもしれない別の灯火。その微かな予兆を抱きしめながら、私はまた小さな希望を胸に灯す。

    君といたころ、私はこの世界の奥底に隠れた静かな声を聞こうとしなかった。それは過ぎ去ったいまになって気づかされたものだ。けれど、その声に耳を澄ませることが、君がいた意味を、君を失った意味を、私自身のなかで紡いでいくことになるのだろう。月明かりに浮かぶ薄い影。それがある限り、私はまだ闇の中を歩く力を持っている。

    今日という一日もまた、そんな静かな光の中で終わっていく。やわらかで、やさしいほうへ倒れ込みながら、心のなかに残された灯火を頼りに、明日という未知の先へと進んでいく。

  • 日記250126

    やわらかな時間が流れ、日常の中で言葉を探る。一瞬の視線が物の表面に触れ、その奥行きを試みる。指が滑らかにページをめくるたび、目に見えるものが輪郭を持ちながらもその先を隠しているように感じられる。

    部屋を整えるとき、ふと机に置かれたコップの縁が目に留まる。そこに宿る質感は、何度触れたとしても言葉に尽くせない。触れるたび、表面に刻まれた痕跡がわずかに変わり、それが時間を含むという事実に気づかされる。

    話の中で、ふたりの感覚が交錯する場面を思い出す。言葉が人から人へと移るたびに、それはまるで別のものへと変化する。その変化がどこに宿るのか、問いながらも確信には至らない。ただ、言葉が触れた瞬間、その言葉が形を持つという感覚は確かだ。

    夜の窓辺で手を伸ばし、指先に空気の冷たさを感じる。ふと目に入る影や光の移ろいは、物そのものが持つ特性ではなく、自分がどの位置にいるのかを示しているように思える。その場所が、かたちを変えては私を包み込む。光と影の境界が曖昧になるたび、そこにある縁が浮かび上がる。

    ページの中に潜む言葉が触れてくる。その言葉の配置が、視線を誘い、読み手の記憶をくすぐる。そのくすぐりは、誰にも教えられなかった肌理の秘密をそっと開くようなものだ。それは一方で、読者の意識を突き放し、物語の中に新たな縁を作り出す行為でもある。