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カテゴリー: 日記

日記210618

 賞与面談。近々正社員として雇用できれば、と話が出る。そちらの心づもりを後日確認させてほしいとのことだった。じぶんの暮らしを続けるために世に迎合しながら労働に従事することと、世の中をひっくり返す、とまでは言わないが、どうにか社会が変わらないだろうかと学び、考え、運動を志すこととをどう折衷すればよいのだろう。もしくは周囲のひとたちは、どう折り合いをつけていまの日々を送っているのだろう。後者に関して具体的に何ができるのか、何をできるのかの見当を定めることからきわめて困難である一方で、前者に関しては与えられた(生活や人生における)タスクを着々とこなすだけでよく、懸命に過ごす日々は他人との関与から保守性を生じさせる(たとえば家族がいるひとなら、自らの人生は家族の人生でもあり、他者との関与が希薄な者と比べて無茶な言動・活動に身を投じづらくはなるだろう)。時間の経過で自然と手懐けられてしまう仕組みである以上、あえてその仕組みのなかでは困窮する立場に身を留めておく方がじぶんには向いているようにも思うが、無謀な反抗心もそれはそれでおそらく何をももたらさない。そしてこうした意識を生じさせているのは反抗心なんて立派なものではなく、根本的な気質が天の邪鬼なだけだ。

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日記210617

 ビルの敷地を清掃しているおじさんがたぶん通りすがりのおばさんに怒鳴られている。雰囲気から察するに、おそらく言いがかりであるように思われるが、雰囲気だなんて勝手な絵空事を難癖のように当て込んでは一蹴する通行人の言うことなんか微塵も信じるべきでない。書いたことを悔いろ。読まれることの恥を知れ。あらゆる人間に批判的に対峙し、その最たる対象にみずからを置け。たとえ指を失っても書くことを止めない覚悟がないのなら食って寝て老いるだけの生活に身を慎んだほうがいい。頭痛にでも苦しんでいれば幸福だろう。また今日も文を書く真似事ですか、はやくやめたほうがいいですよ、くだらないから。小綺麗に切り貼りした貧しい人生の愚劣な描写を実存を支柱に屹立させようという卑しい魂胆は早急に唾棄する以外に取り扱いようがない。でなければ、日記の残酷さに拮抗する身体状態をかろうじてでも維持してみせたらどうだ。

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日記210616

 寝転んで、天井を眺めて、雨音に耳を傾け、本をぱらぱらとめくって、目をつむって、その合間合間にキーボードを打ってはやめて、打ってはやめて、打ってはやめる。腑抜けた状態でもなんやかやで千字程度書き進む。一日かけたことを考えれば、むろん進捗はよろしくない。週末にはきちんと手を入れなければならない。もつれてしまって解消したい主題があり、できればそれを誰かに話してしまいたい。壁に向かって話す。コーヒーフィルターが残り一枚だったから外出する。柔軟剤も切れかかっていることを思い出したのは出発時点で、コーヒーフィルターを買う頃にはもう忘れていた。帰宅して、冷蔵庫を開けると、たまごの残りが一個だと気づく。冷蔵庫にしまい忘れていた豚こまを捨てる。ぬれた机を拭こうと思ったらティッシュペーパーがない。ここ数日はやけに買い物が多い。刺身や寿司でまぐろの人気があるのは赤くて写真映えがいいからという話を聞いて納得する。焼き海苔にわさびをつけて食べる。喉元にウォッカを通過させる。見て聞いて体験した出来事を記述するだけの文に締まりを出すにはどんな手立てが考えられるか。とつぜんに説明的で自省的な文が挿入されるのは疑いようもなくルール違反だ。外在的要因に由来する書記行為の主体性は、書くことよりもむしろ書かないことによって立ち上がる。するとここに記述されなかった出来事とは何か。あまりにあたりまえで記すほどでもないと捨象してしまっている習慣やより私的で秘密裏にしていたいこという判然とした事柄ではなく、天井を眺めてから雨音に耳を傾けるまでの間や、雨の音と同時にとつぜんの豪雨に高揚する小学生の声が聞こえていたことや、ぱらぱらとめくった本に何が書かれていたかなど、書くことによって書き落とされ、もしくは感傷的な判断によって恣意的に書かないことが決定され、それともそもそも一般に類型化されていないために流されるままに容易に簡潔に記述できなかったり技術の伴ってなさゆえに書かれなかったりする事柄が、遡行的に記述者の身体を仮構するということはたぶんある。だからこそ、まぐろやえびやかにの写真を彩る赤さなんかで騙そうとしてはいけない。

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日記210615

みだりな情動にかき回されるほど私たちは退廃していない。直観的な親しみを好意と錯覚してしまうことの安易さ、無邪気な狂乱を穏やかに繕うなんて馬鹿げた振る舞いはもうしない。それでも愚かなままでいたいのなら、今日の雨にでも一喜一憂していればいい。
眠気に襲われ敗北寸前の状況下でWordをたたく。眠っているのか文書を制作しているのかといえば前者でしかないことは明らかで、意識が戻ってきたときパソコンの画面を見ると、打った覚えがないどころか、いつどのようにどうして喚起されたのか心当たりもない〈隣に立って見ている客〉という文が書かれている。不要だから消去する。覚醒中のかれは睡眠中のかれに対し権威性を有していて、睡眠中のかれはその存在すらも半ば認められていない。整然としたWordファイルを名前をつけて保存。
代々木のアートギャラリーTOHでMES個展「DISTANCE OF RESISTANCE/抵抗の距離」を観る。スペースの片隅には制作ノートと記されたファイルが置かれている。中に綴じられた紙には制作の経緯や過程、モチーフの歴史的背景などが書かれている。本展の台本とも言える書類を片隅に置く一室の、壁には数枚の(レーザーでライティングした街の)写真=制作物が展示され、中央にはある一枚の写真が実際に制作された際の二分程度のドキュメント映像が繰り返し再生されている。この映像は、すなわち実際に上演されたパフォーマンスのアーカイブとして解釈可能だ。レーザーの投射という形を残さないその瞬間かぎりの光景と、そのことによって表象される失われたクラブカルチャーやストリートカルチャーを、それらの痕跡として配置された台本、上演アーカイブ、制作物の三者が再演する。清潔に整備された凪いだ公共空間、ただそこに在り続けては失われた文化の忘却に寄与する傲慢な公共物への抵抗として、複数の記録を並べ、記録の網を舞台にいくつもの語りを交わし、そのことによって文化を、出来事を模倣し、記憶しようとする態度それ自体を見せられているようでもある。
郵便受けにはふたつの郵送物。袋を破って取り出した中古の雑誌をさっそく開き、目当てのページを読む。ひとが死んでも書かれた文章は残るが、参照する者がいなくなればそこに辿り着く者も減る。あるいはいなくなる。言葉と意味の間接性。身体(とそれを包む環境)の経由なくして、言葉は意味を持たない。そうでなくとも、詩の抒情性は詩に内在しているのではなく、詩が身体を喚起することによって生成されている。直線的に情動を愛でたがる素朴な身体への未成熟さとしての信仰心は、不規則な時系列に組み込んで操作可能な対象へと移行させるがいい。そこに働く技術的態度をいかに保持するか、それが問題だ。

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日記210614

虫がとんでいる。顔の前、首の周り、胸の近くで舞っている。手で払うが、あまり効果はない。歯を磨く。ブラシを濡らし、クリニカを絞る。口内に棒を出し入れしていると、虫が壁に沿ってとんでいるのが見えた。
計算機が捕獲した血肉が売買されている。網膜を焦がして点火する。新宿三丁目。空いた席に座るとまえのひとの座った跡が窪んでいて気持ちわるい。本を読む。あまり時間の経たないうちに目の疲れ。からだじゅうの力が抜ける気が抜ける。離脱した意識は居場所がなくたらいまわされ、サイレンを鳴らす救急車が赤信号を突き破る。飛んで火に入る虫をシャツのなかに隠す。

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日記210613

 昼食後に眠気。横になって布団をかぶる。パソコンからは再生しっぱなしの動画の音声が聞こえる。一〇分後にアラームが鳴って、アラームを止めて、また寝る。目を覚ますと十五時を過ぎていて、動画はちょうど終わりのあいさつをしているところだった。外に出て駅付近をうろうろする。曇り空の写真を撮る。ウェザーニュースのアプリに投稿する。足元から察するに、寝ている間に雨が降っていたらしい。モランボン本店が入ったビルの階段手前で、モランボンの店員がハンバーグ弁当を売っている。口元にはマイクを装着していて、同じ台詞を繰り返し発声している。近くにはランチのスンドゥブセット一五〇〇円のポスターが並んで貼られている。主に和食器を扱う雑貨屋でグラスを眺める。いくつかのグラスを手にとって、すぐに棚へ戻す。ドトールで本を読む。冷房が強めに効いている。ドラッグストア横にあるガチャガチャに「石」というおもちゃがあった。スーパーで安いウォッカを買う。買ったウォッカを冷凍庫に入れ、冷えた頃合いに、おちょこで一杯飲む。先日買った梅酒が残っていたから、梅酒をウォッカで割って、もう一杯飲む。

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日記210612

 労働。眠気に耐えながらじっとする。気を失っていつの間にか十数分ほど経過している。これで何度目か。「ナルコレプシー」で検索。症状名を与えられて安心したいという卑しさ。たぶんたんに朝の起きる時間が早すぎるだけだ。じっとするだけの労働に従事していると今後が不安になる。この先もずっとじっとしているだけなのだろうか。だとすれば、もっと穏やかにじっとしていられる環境を探したほうがいい。じっとしていることは嫌ではない。じっとしていればいい状況で出しゃばる輩のほうが嫌いだ。ただこんな場所で、こんな状況で、こんな目的でじっとしていると、ついここではないどこかを夢想してしまう。

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日記210611

 じぶんの手首を見て、細いな、と思った。手首に沿って指を回すともうひとつ手首が入りそうな隙間ができるが、これはさすがに誇張がすぎるか。でもシャーペンが四、五本は入るかもしれない。視線をずらすと腕の皮膚にできた赤い斑点。毎年暑い時期になると身体中の皮膚が赤くなる。主に首回りや脇や背中、鳩尾周辺、肘の裏を中心に腕全般。皮膚科でも受診をすれば何らかの症状名が与えられるのかもしれないけど一度も診察を受けたことがない。湿疹とか汗疹とかたぶんそんな類いの名前をもらいにいっても損ではないのだろうが、少なくとも中学生のころから赤い斑点(点どころか面と呼ぶほうが適切に思われるくらいその赤みは広範だ)はあらわれていて、そのせいでいままで困ることがあったわけでもないから医者にかかるだけ無駄である気もする。真夏には汗をかいたときに首の後ろや背中に針を刺されたみたいな痛みを感じることもあるが、基本的には皮膚が部分的に赤くなるだけで、皮膚の状態がどうであろうと生活上一切の支障は感じない。たしか兄の身体にも同様の現象が起こっていたはずで、兄は一度、親の手により皮膚科に連行されていた覚えがある。一度行ったきりで定期的な通院はせず、もらった薬も面倒だとほとんど使用していなかったから、特に症状は変わらずいまも同じ状態にあるのだろうと思う。兄とは二〇一八年の四月に会って以来、特に連絡はとっていない。母とは二〇一八年の七月以来会っていない。二〇一八年七月以来、帰省というものをしていない。帰省。生まれ育った地はいつまで帰る場所でいるのだろう。さほど馴染みを感じていなくても、さほど愛着を覚えていなくても、たとえば海産物を食べたいと思ったときに、真っ先に想起するのは男鹿半島だ。もしくは秋田市民市場や道の駅岩城にある活魚センターやかつてそこで食べた岩牡蠣のことだ。知っている固有名がそこに集中していて、他方でそこ以外の固有名に疎く、全国的に有名であっても知らなかったり訪れたことがなかったりするということが、秋田のみに帰巣性が立ち上がり、他の地域には立ちがらないことの働きとなっているのだろう。思い入れの有無にかかわらず、ある地域にある程度の期間住み続けることは、その地に訪れた際の来訪の感触を喪失させる。来訪の地でないことが逆説的に帰る場所として地元を縁どるとするならば、この先もおそらくは生まれ育った地は帰る場所であり続けるように思われる。それがたとえ今後足を踏み入れる機会に恵まれなかったとしてもだ。

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日記210610

生のたこを食べたい。出汁に溶いた小麦粉で包んで焼くより刺身で食べたほうがたこはおいしい。おいしそうなたこをおいしそうに食べる動画を観る。軽く茹でたたこをひと口サイズに切って青いねぎと大葉を散らして黒胡椒としょうゆとオリーブオイルをかけて食べている。おいしさは食材に宿ってはおらず、食べるひとが勝手においしいと感じているだけだ。だから調理されたたこの映像を観るよりそれをおいしそうに食べるひとを観るほうがおいしさが伝わってくる。たこを食らった男のひとがうまいと言う。新鮮なたこを食べたい。食べてうまいと言い合いたい。

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日記210609

毎度のごとく気づけば言葉を発する機会から遠ざかり、かぎりなく音のみに接近した声ばかりが宙に埋もれる。近くにあった文章を音読する。小説を読む。現代詩を読む。論文を読む。利用規約を読む。文字に居心地をよくした言葉をドアのそとにひきずりだす。頭蓋骨が震える。句読点や改行の挿入が準備するひと呼吸。見慣れない読み慣れない文字をイメージで発音する。血液が脳に循環する。近くの小学校から聞こえるリコーダーの音の群れのした、教師がドレミファソラシドで歌っている。音楽をかけると金属を叩き、弾き、擦り合わせ、押しこんだみたいな硬い音が鳴る。周辺で細かなノイズが散っている。曲が終わるとゴミ収集車が近づいていた。
買ったばかりのコーヒー豆で淹れたコーヒーの甘さに驚いて、午前中に干した洗濯物が昼過ぎにはほとんど乾いていたことにまた驚いた。その一、二時間後に昼寝をする。目を覚ましてドラッグストアへ。あれとこれとそれを手に取ってレジへ向かうくらい簡単にあれとこれとそれを整然とさせつつ貫通させられたらどれだけ楽か。容器包装プラスチック用のごみ袋を買おうと思ったときはいつもほしいサイズが売り切れている。自宅に戻る途中の空の青さに雲が伸びていたからiPhoneのレンズを向ける。カップラーメンにお湯を注ぐ。ペプシコーラの栓を開ける。一発だけ思い切りぶん殴られたみたいな地震。地震くらいしか殴ってくれない。あとは虫。デカイ虫。デカイ虫に驚いて何もできなくなることの麗しさ。耳周りで伸びた髪の毛が不要な気がしたからすきバサミを箱から取り出す。肩周りに髪の毛が溜まる。浴室に髪の毛が散らばる。どこもかしこも散らかっている。あすも暑くなるから水分と塩分をこまめに補給しましょうねと動画の音声。

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