あらかじめはたらきかけることをやめよ、/さきぶれを送ることをやめよ、/そのなかにただくるみこまれて/立っていよ──
(パウル・ツェラン/訳・飯吉光夫「あらかじめはたらきかけることをやめよ」)
見ること、たえず見つづけること──しかし、この眼が見ているものは、そのすべてがではないとはいえ、しばしば、あるいは鏡──それもおそらくは一枚以上の──に映ったイマージュではないかと思わせることがある。
(宮川淳『鏡・空間・イマージュ』)
わたしは手に遠めがねをもつて居ります、/につける製の犬だの羊だの、/あたまのはげた子供たちの歩いてゐる林をみて居ります、/それらがわたくしの瞳を、いくらかかすんでみせる理由です。
(萩原朔太郎「内部に居る人が畸形な病人に見える理由」)
オレンジ色に染まりながら、爪を立てて生きてみたい。けれど、本日はお日柄もよい埋葬日。砂をかける誰もが、埋もれゆく私を愛おしげに見つめている。この視線こそがわたしを殺す。だが一度死せようとも、この身体はむくむくと力を蘇らせるのだ。五感を防ぐほどの砂に息を詰まらせても、屈しはしない。砂から身をもたげるとき、私は生まれかわるのだから。さぁ、この身に砂を)
(文月悠光「戯び」)
僕はそれを見つめたまま立っていた。羞恥からのほてりが皮膚の奥の根深いところで、しこりのように固まり、そのまま熱くひそんでいた。僕は顔を半ば隠してしまう広いマスクの上から両頬に掌を押しあててみた。息をつめて彼らを、僕の肩ごしに女子学生は見つめ、それから敏捷に小さい身震いをした。
(大江健三郎「死者の奢り」)
「夜になると、なんでもいい匂いがするね」とモンドは言った。
「それはものが見えないからよ」とティ・シンが言った。「ものが見えないときの方が、よく匂うし、よく聞こえるものよ」
(ル・クレジオ/訳・豊崎光一、佐藤領時「モンド」)