日記

  • 日記240930

     ここ2ヶ月くらいで近所にまいばすけっとが新設され、長らく改装工事中だったマクドナルドはついに再オープンした。両者に今日はじめて訪れた。リニューアルしたマクドナルドは店舗は縮小されてドライブスルーを主に据えたような印象だった。テイクアウトで利用したため店舗の内側をじっくり観察したわけではないが、以前は客席も広く高校生や家族連れがよく居座っており、かくいうわたしも仕事帰りやたまの休日に本を読んだりPCを持ち込んで原稿を書いたりして長居したものだったが、そうした過ごしかたへの許容は縮小しているようだった。まいばすけっとはビールが安かった。助かる。
     9月は出身地である秋田県を二度訪れた。秋田駅の改札を出ると秋田犬の大きなオブジェクトが待ちかまえていて、これも何度か目にしていまや見慣れた光景ではあるが、じぶんが秋田に住んでいるころにはなかったはずだ。生まれてから20年ほど過ごした土地ではあるが、幼いころからひきこもり気質でまともに外出した経験も少なく、馴染みのエリアや通い慣れた店もない。時間の経過で記憶もあいまいになっており、もとからこうであったような気がしてこなくもない。

     かねてから帰省なんてしたところでその地ですることもなければさして会うひともなく交通費だけがやけにかかって無駄なだけではないかとかんがえており、現に去年仙台出張のついでに立ち寄るまでは5年ほど訪れる機会はなかったのだが、なぜここへきてひと月に二度も訪れるようになっているかといえば、ひとえにわたし自身に近年芽生えた舞踏への関心ゆえである。かの著名な舞踏家である土方巽は秋田県秋田市出身であり、土方の舞踏と東北性はたびたび関連づけられながら論じられてもいる。この土方を被写体に秋田県羽後町田代を主な舞台に写真家の細江英行が撮影した写真集『鎌鼬』に関連する展示を行う鎌鼬美術館が田代にあり、一度は訪ねてみたいとおもっていたところ、調べてみるとこの9月の毎週末に土方巽(および土方と同じく秋田出身の舞踏家である石井漠)の名を冠した舞踏のイベントが鎌鼬美術館も含めた秋田県の各地で行われるという。舞踏という表現を知ろうとする以上は論文や写真や映像だけ眺めていても仕方がなく、現役の舞踏家の公演もみられるというのであればいい機会になるだろうとおもい、短期間に二度も帰省(にみせかけた観光)を行うに至る。
     一昨日に行った羽後町は秋田市からそれなりに離れていて、田代は峠のうえにあり、さくっといける土地ではなく、むろんこれまでも訪れたことはない。二週間まえに秋田に訪れた際は三種町で行われたイベントに参加したが、こちらは田代ほど遠くはないがやはり意識的に訪れた経験はないようにおもう。生まれ育った土地を離れてからそう短くない時間が経過して知らない文化にふれる経験を重ねるなかで関心の対象が変わらなければこれからも訪れることはなかったであろうこれらの地域はわたしが生まれ育った土地とおなじ名称をあたえられていて、知っている街の知らない光景に出会ったようなおもいをした。そこでは秋田の名のもとで何十年も暮らしているひとびとがいて、わたしがそのひとたちと出会い声を交わすには一度外様の人間になる必要があったということにみょうな感慨すらおぼえてしまう。
     あるていどは知っているはずの秋田市内でも、わたしが上京したころにできたという古書店で常連客のひとらと本や小説の話をしたり、10年くらいツイッターでつながっていた秋田市在住のフォロワーとはじめて顔を合わせておたがいの好きな音楽の話をしたり、そのフォロワーと古書店で知り合ったスナックのオーナーのお店に行ってまた音楽の話をしたり、あるいは別の日には、あきた文学資料館なる施設で名誉館長から文学や政治の話を聴いたり、こうした小説や音楽といった文化芸術をきっかけにおこなわれるひとびととの交流に十代のころはただあこがれるだけであったが、いまそれがしぜんとできる状況になっていることにすなおにおどろいた。
     他方でかつて交流があっていまだに付き合いのあるひとはごくごく少数に限られてきている。 えてしてひとはいろんなひとと出会っては、それが最後だとおもわぬうちに多くの人との最後の出会いを終わらせているのであり、そのことじたいにさして感傷もないのだが、わたしが知っている街に知らない光景をみたり知らないひとと出会ったりしているように、わたしがかつて知っていたひとたちもここにいながらにして知らない街を暮らし知らないひとと過ごしているのだとおもうと、どこかすがすがしさを感じたりもする。

  • 日記240806

    枯れたからだはなにを書けるか。欲もない。訴えもない。声すらもたない。しかしながら記述したとたんに立ち現れるこの目線に感じる不気味な距離。これはいったいだれだ。まいにち会うしらないひと。どこかを見ている。振り払う。まだ見ている。異物が血管を伝う。死んでいる空間だけをここに。

  • 日記240804

    スーパーに向かう途中、ロイヤルホストの駐車場でカラスが死んでいるのを見かけた。野菜をたくさん買う。ゴーヤとズッキーニとオクラ。切った野菜と醤油と料理酒とおろしにんにくをビニール袋に入れて10分くらい置く。汁気をしぼってから片栗粉をまぶしてごま油で揚げる。食べていると油の感じが気になって、途中から衣をはがして食べた。のこった油は新聞紙に吸わせてすてる。

  • 日記230629

    凍てつく寒さに対するどんな責任も自分に引き受ける覚悟をし、願いも強かった深い眠りから、ぎょっとして目覚めた。この息苦しい部屋の幕が開いて、墓地の近くの小径のなかに窪みを掘った。ただ活動的な表面にせいぜい近づきはするが、非人間的な生活の無意味な上昇にふたたび底の方へ激しく追い返されず、あるいはぼくをどうでもいい存在か、もしくはその羊のあとをいとも簡単にふり切るという唯一の希望をいだいて彼女に微笑した。

    (この日記はマックス・ブロート編『決定版カフカ全集7 日記』(谷口茂訳、新潮社、一九八一年)で使用されている語句の引用・組み替えによって作成しました。)

  • 日記230628

    漁師たちが甲板の上に配置された三つの問題点を数えあげるときなど、ぼくは園亭のようなところで青年たちの真中にいて、会社のやり方を図々しくも呪った。もう八時だったが、ぼくの心のなかにあるのは人間の生がいかに不完全な一瞬かという申し出である。戦いの相手は目を上の方へ向けるが、それはぼくの邪魔にはならなかっただろう。ときどき休暇の間、仕事場のなかで気楽さを感じる。

    (この日記はマックス・ブロート編『決定版カフカ全集7 日記』(谷口茂訳、新潮社、一九八一年)で使用されている語句の引用・組み替えによって作成しました。)

  • 日記230627

    今でもそうだが、いわばいろいろな飾りをぶらさげていることによって表面化しているのは、今ではもう我慢できないように思える者が、ぼくと読まれているものとを断乎として分離している無口の、社交性のない不平家なのです。だからぼくは自分が自由だと感じ、いろいろな観察を書きとめたことの、つまり恐怖が不幸のもとなのだ。すなわち、自分をすっかり満足させるもっと大きな仕事をめがけて落ちてくるだけであり、不幸そのものはひどく絶望した人間でさえ認めなければならない。人間性の一体性は、恐るべき騒音の単なる小さな譲歩がなされていることだ。

    (この日記はマックス・ブロート編『決定版カフカ全集7 日記』(谷口茂訳、新潮社、一九八一年)で使用されている語句の引用・組み替えによって作成しました。)

  • 日記230626

    朝方、自分のなかに吠え声が聞こえ始めた。一度など興奮や気弱さや困惑のために数語書こうとしているからだが、しかし許されうるそして解放をもたらすような材木を調達するのは、ある冬の闇夜の五時まで工場で働き、まだいくらか血のついた指で掘り起こしているぼくの存在の根底まで、あきらかにぼくの関係に長引くひび割れをもたらすことなく部屋から出ていけるかどうか、ぼくはまったくじしんがなかった。

    (この日記はマックス・ブロート編『決定版カフカ全集7 日記』(谷口茂訳、新潮社、一九八一年)で使用されている語句の引用・組み替えによって作成しました。)

  • 日記230625

    瞬間の気分に作用している事情や、さらにその気分のなかで働いている事情や、しかも価値判断のなかでさえ働いている事情まで含めたすべての事情に気づいて、ただ他人を観察し、他人のなかや至る所で支配している法則を観察することだけが、ごちゃごちゃに縺れ合って足を停めていた。何もかも腹立たしい。別の効果のために働いているはずの声がひどく不幸に吹きまとわれていた。
    疲れていて、少し寝ぼけている。疲労からくるぼくの焦燥と悲哀はその場所を突きとめることができないためにあまり大した犠牲は要求しないだろうし、他人に知られず遠くから眺めることで満足するだろう。眠い気分のなかで無感覚になるまで駅から二時間ばかり夢を見に行った。夢のなかで跳梁して見境いもなく剣を振り回し、山のなかで迷ってる羊か猫の焼き肉を食べたが、スプーンでコーヒーをくしゃくしゃかき回すと、太陽のせいですぐに目覚めた。もしわれわれが悪魔にとり憑かれているとしたら、それは一人のあくまではありえない。彼らはいったいどこにいるのか?
    あるとき頭をカッカとさせて会社の同僚一人一人をボンボンと叩いた。それがもちろんだれにも重傷を負わせないのは、簡単にはぼくをふり切ることはできなかったからだ。ぼくは外へ向かっては頑固で、内においては冷たい人間だ。ただ身を支えるためにこんなやり方で回復に努めなければならない。何かの特定の仕方で自己を展開したくはない。書くこと自体がぼくの悲しい気分を増大させるだろうからだ。ぼくは君じゃ物足りないんだ。

    (この日記は全文をマックス・ブロート編『決定版カフカ全集7 日記』(谷口茂訳、新潮社、一九八一年)から文や語句を引用し組み替えることで記述しています。)

  • 日記230417

    4月に入ってから、ほぼ毎日ぐっすり眠れるようになりました。それまでは、8時起きはかなりはやいほうで、早起きして仕事に行くのは無理だと思っていました。仕事を始めてからは、勤務でとても疲れて帰ってきて、食事やシャワーなどの家事をこなし、11時にはもう寝るしかない。疲れていないことを確認するために軽くストレッチをしてからベッドに倒れ込んだのですが、数秒後に意識がなくなりました。目覚ましをかける6時前には、いまとなっては思い出せないような夢を見ては目を覚ましていました。ぐっすり眠ったおかげで、体はだるさを忘れ、難なくベッドから起き上がれるようになりました。でも、いまはきっと、こうして熟睡している場合ではないのでしょう。これから担当する仕事が増えれば、帰宅時間がどんどん遅くなり、自然と睡眠時間が短くなり、朝起きるのが辛くなり、日中のパフォーマンスも確実に落ちていきます。

    新しい職場では、「昼食がなくても気にならないし、仕事の途中でくつろぐのも嫌だ」と言う。まだやることが少ないのに、昼休みもとらずに過ごしている。頭がぼーっとしたり、ふらふらしたりしたときは、ウィダーリンゼリーを一杯食べます。みんなが「ウイダーinゼリー」と呼んでいた商品が「inゼリー」と呼ばれるようになり、いや、最初から「inゼリー」が正式名称だったのかもしれませんが、やはり「ウイダーinゼリー」という名前には親近感があり、いつも「ウイダーinゼリー」と呼んでいます。今でも「ウイダーinゼリー」という名前に親しみを感じています。

    先月末に購入したスーツが先ほど納品されました。すぐに中身を確認せず、クローゼットの中にしまっておいた。数日後、そういえば何を買ったんだっけと思いながら確認すると、なんだかボロボロで、ボタンもなく、パンツはツーパンツと書いてあるのに1本しかなかった。金曜日の夜、購入した店に不良品であることを伝えると、とても親切そうな人が優しく対応してくれた。仕事帰りに立ち寄ったため、不良品を持ってこなかったので、日曜日にもう一度お店に持っていこうとしました。しばらくそのスーツを持って外を歩いていると、「せっかく届いたスーツがこんな状態になっているのはおかしいな」と思いました。帰宅してクローゼットの中のスーツをいちから確認すると、タグのついた新品のスーツが届いていました。間違いに気づいた私は、店に駆け込み、親切そうな店員さんに必死に謝りました。すると、「ちゃんと届いてよかったですね」と言われ、さらに謝ってしまいました。そんな優しそうな人の気持ちを無にしてしまったことを、ずっと反省していました。しかし、この謝罪への渇望は、自分の失敗を許してもらいたい、あるいは失敗を正面から受け止めることから逃れたい、という狡猾さの現れであるような気がした。しかし、それは見当違いの見方で、実際は、人の優しさを受け止めきれなかったことを後悔しているだけなのだろうと確信しました。自分には、人の優しさを受け止めたいという気持ちがあるのだと思いました。

    この日記は、日本語で書かれたものをDeepL翻訳で英語に変換し、再び日本語に変換し、微調整を加えたものです。執筆時は日本語で書かれていただけなので、前文のようなプロセスを経ておらず、その意味では嘘である。しかし、出版された時点では、すでにそのプロセスを経ているので、嘘が本当になっている。日記を公開する意味も疑問だし、書いた日のことも書いていないので、日記と呼べるかどうかも疑問です。

  • 日記230315

     慢性的に無気力。それでも瞬間的に快楽を感じることはある。映画を観た、小説を読んだ、散歩をした、酒を飲んだ、ひとと会話をした。お決まりのこれらにひとときの享楽を覚えたとて、瞬間が過ぎればたちまち茫然とした状態に帰す。何か違うことをしてみようにも違うことの在り処を把握していない。全ての未知が落とし穴のようで馴染みのない道に逸れた途端、その暗闇に吸い込まれ後戻りできなくなってしまうのではないかと不安がつきまとう。後戻りする必要がどこにあるというのか。ただ暗闇に身を投じるだけのことに何を躊躇っている。そのとおりだ。躊躇っている。この拘束は躊躇いから生じている。