職場で食パンを一斤もらった。じぶんで食べるには持て余しそうだったから、友人にあげることにした。「食パンいりませんか?」と連絡をしたところ、すぐに快く受け取ってくれると返答があった。貰い物の食パンだけ渡すというのも芸がないなと思い、職場近くの珈琲焙煎所でコーヒー豆を買った。
友人らしい友人もそう多くなく、ましてや労働終わりにひとに会いに行くなんてことは滅多にない。まあでも世の中そんなもんでしょ、とは思っていたが、いざこうしてひとからものを貰ったことをきっかけに、ひとに会う機会を得て、気になりつつも訪れたことのなかった珈琲店に行く機会にもなり、友人宅で飯をごちそうになり、近況を話し、最近の考えを話し、かっこいい音楽を教えてもらい……とかなんとかを経て、ほんのすこしだけ自分の世界が広がったかのような感覚が得られることはおもしろいなと思う。
じぶんは基本、ものに興味がなく、たとえば小学六年生の頃から同じ財布を使っているし、高校三年生の頃に買った靴をいまだに履いている。着るものはとりあえず着られればなんだっていいし、食べるものはとりあえず食べられればなんだっていい。しかし、ひとにあげるとなると事情は変わってくる。お世話になっているひとであればあるほど、食べ物だったらできるだけおいしいものをあげたいし、雑貨だったらかわいいものをあげたい。となると、いざひとにものをあげようとしたときに、自分のために適当に済ませてきたものしか知らないとたいへんに困る。つまり、ひととかかわることがじぶんを関心のない事柄へと進ませるし、かかわってくれているひとがじぶんを関心のない事柄に誘い込んでくれる。
難なく人間関係を育めるひとにとってはきっと当たり前のことなのだろうが、これを新鮮な出来事と思う者もいる。
日記210312
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