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日記210319

 なんか蕎麦を食べたくなってきたな、と思ったのはたぶん勤務先近くに蕎麦屋があるせいだ。出勤の時間帯には仕込みが始まっているのか、店前を通り過ぎるときに出汁の香りがすることもある。朝は食欲がまったくなく、食事の香りを嗅ぐと気持ちが悪くなってしまうからあまりいい気分はしない。昼も食事を摂る気分ではないから昼食にその蕎麦屋へ行く気も起きない。昼食はコンビニで買った適当なパンで十分だ。夜は早く帰宅したい。帰宅して何があるわけでもないが、とにかく自宅で気を緩めたい。毎日そんな感じだから、そして今後もきっとそんな感じだから、勤務先近くの蕎麦屋に行くことはおそらくない。
 近所のスーパーで蕎麦を買って自宅で茹でる。冷蔵庫にうどんが残っていることはわかっていたが、蕎麦を食べたかったので蕎麦を買う。こうして要らぬ出費が増えていく。金銭状況を気にしているうちに蕎麦が茹で上がる。適当に出汁をこしらえ、レンジで温めたほうれん草を乗せ、生卵を落とす。ささっと用意した蕎麦を食べてみると、どうも思っていた蕎麦のイメージからは程遠い。蕎麦らしきものでは満足には至らない。そういえば近所に蕎麦居酒屋を謳った飲み屋がある。何度か足を運んだことがあるが、訪れたのはいずれも友人が遊びにきたときである。流行りの病の影響もあって、ここしばらくは友人が遊びにくる機会もないから、その飲み屋にも行っていない。このご時世だから、いまもまだ営業しているのかすらはっきりしない。ひとりで外食をするのが苦手だから、この先もしばらく行く機会がないかもしれない。
 昨日、図書館からデリダの『絵葉書』を借りてきたので読んでいる。実験的などとよく言われているから警戒していたが、ソレルスやル・クレジオなどの仏小説をいくらか読んでいるおかげか、べつに文体に対する違和感はなく、むしろおもしろく読める。おもしろく読めることと理解できることとはまったく関係がないのだが、それでも内容的に興味深い点も多くある。その傍らで、ユリイカの大林宣彦特集号に載っている山本浩貴さんの論文を読み返している。どこか『絵葉書』に接続する問題系があるようにも思う。というか、山本さんの論文で挿入されている図を念頭に『絵葉書』を読むと、送り手・名宛人・宛先・郵便・遠隔通信などのキーワードを具体的に描ける感覚がある。この頃はかなりざつに本を読んでいたから、こうしてテクストとテクストのネットワークをつくりながら本を読めるのがひさしぶりでたのしい。

カテゴリー: 日記