うとうとしながら小説を読んでいると、小説内の情景をいくらか反映しつつも文章として描写されてはいない光景があたまのなかに投影されることがあり、その勝手に想起した光景が書かれた内容であると思い違えたまま読み終えてしまうこともある。ふと眠気が晴れたときに思い違いに気づいたとしても、どのページから夢を見ていたのかもうわからない。読み直すのが面倒で、本を閉じてしまう。幻想に囚われていた感覚だけが残る。夢を見る装置として小説を読む。そこには一切の批評性はないが、まあたまには心地よさに飲まれてしまうのもいいだろう。たまにでは済まないから困っているのだが。
日記210627
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