調布でラーメンを食べた。ちょっと前から素朴なしょっぱさのラーメンが食べたいと思っていて、いま食べたい感じのラーメンはいわゆる何ラーメンに該当するのだろうかと考えていると、数年前職場の先輩と飲みに行ったときに喜多方ラーメンの店で食べた味を思い出した。あの味はいま食べたい感じかもしれない。麺のタイプとかスープのベースとかいくつか選択すればあなたが希望するラーメンのタイプはこれですと提示してくれる診断サービスみたいなものがいまどきあってもおかしくないし、調べてないからわかっていないだけでその手のサービスはすでにあり、知らぬところで有効に活用されているのかもしれないと思いつつ、記憶から引っ張りだされてきたそれをひとつの選択肢とせずにそのまま選択にしてしまうという素直さで生活を進めるということはそう足蹴にするようなことでもない。意識的な検索でデータベースから取り出すことと、いま投げ出されている環境をトリガーに無意識が記憶から取り出してくることとでは行われていることがまったく異なる。むろんこれはどちらが良くてどちらが悪いという話ではない。ただここのところ素朴なしょっぱさのラーメンが食べたいと思っていたことにおける「素朴なしょっぱさのラーメン」はおそらく過去に食べたラーメンの記憶の集積からイメージされているものであり、そのイメージを統計に照らし合わせて近しいラーメンを食べたいということではなかったように思う。それで記憶を頼りに前に食べた喜多方ラーメンの店名はなにであったか調べてみると、調布にも店舗があるとのことだったからもうそれでよい。近さは選択を容易にする。食堂のような佇まいの店内はさほど冷房も効いてなく、汗をかきながらすすった麺はおいしかった。注文するときに細麺と太麺とどちらか問われ、太麺でと答えたが、麺はさほど太くない。細麺、太麺などと一口にいってもそのひとつのタグに束ねられたひとつひとつには多分に差異がある。
日記220710
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