日記220711

 ちょっと前にひとから「ずるい」と言われ、その場面でこの対応をしたことに対して「ずるい」と思われるのかとやや驚くような状況だったこともあり、何度か「ずるい」を思い出しては身の振りようについて考えていた。過去に他人から言われた一言が魚の小骨がのどにひっかかったみたいな印象として尾を引くことはある。そうした事態に見舞われるとき、その言葉はいくつかの考慮を経て真剣に語られたものなんかではなく、その場かぎりでさっと流してしまえるはずの何気ない言葉であることのほうが多いような気がしてなんだか呆気ない。このとき気にかかっているのはその言葉や場面のほうではなく、その言葉を受け止めたときのみずからに生じた異質さのほうなのだろう。ある一言に感じられた強烈な他者性を経由して自身を省みることは、その一言によって分裂してしまったわたしとわたしが向き合っているような感覚をも覚える。しかし所詮はどれも思い過ごしで、馬鹿正直さを思いつきで投じているだけであり、のどにひっかかったと思っていた小骨はのどをひっかいただけであってもうとっくにのどの奥へと消えているはずだ。些細なことにばかり気が向いて、取り組むべきことに頭もからだもついていかない。気温が30度を超え始めたのは6月下旬あたりからだったと思うが、どうもその頃からうっすらと体調が芳しくない。労働時間はつねに眠気との戦いで、眠気と戦えているのであればまだしも戦う気力すらなく、業務の進捗があきらかに遅れている。ろくに本も読めていない。いつまでもうつらうつらとしているから却って些細なことが気になるのかもしれない。目が乾いたからと目薬をさすと乾きがひどくなって埒が明かない。

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