今朝、出勤時間に叩きつけるような雨が降っていてびしょ濡れになった。ほとんどのひとが軒下に集まって雨宿りをしていた。傘を持っているひとが雨宿りしていて、傘を持たないじぶんが雨を気にせず歩いているのがおかしかった。濡れずに済むための道具の使用が濡れることへの抵抗を育んでいるのか、濡れることへの抵抗があるから濡れずに済むための道具を使用しているのか、判断をつけることは難しいように思う。地震が起きたら揺れを感じるように、雨が降ったら濡れるのだというくらいの気持ちでいると気は楽で、では濡れることへの抵抗がないのかといわれるとそうでもなく、今日は靴と靴下がずっと濡れたままで不快だったし、職場は冷房が効いているから余計に体が冷えて体調もすぐれなかった。濡れずに済むための道具が普及していなければ濡れたあとの適切な対応が文化として醸成されていたはずで、それもひとつの濡れることへの抵抗である。たとえば当たり前のようにあらゆる出先に乾燥機があったらおもしろいなどは思うが、そんな大ごとでなくとも傘を持たないと決めてしまえばじゃあ着替えを用意しておこうとか、濡れても支障がないように下駄でも履いてみようかとか、身近な範囲で策はいくつか思いつく。濡れを回避するのではなく濡れたら乾かすとか濡れても気にならないようにするとかいった方向に向いていたならば、それはそれで、傘を持ちながら雨宿りするみたいな抵抗する手段を持ちつつなお恐れをなすような状況もまた変わった形で現れるのだろうけど、そもそも濡れて困ることってさほどないよねと思いながらリュックを開けると本が濡れていたのが笑えた。
日記220726
カテゴリー: 日記