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日記230123

昨晩キムチチゲをつくったが、肉なしでもいけるのではないかと思って試したそれはどこか印象に欠くできばえであり、どうにか工夫を凝らせないかとその残りにきょうはツナ缶を入れてみた。ツナでキムチチゲをつくることはわりとポピュラーらしいと韓国料理のレシピ本やネットなどにも書かれている。さて味はどうかというと、食べているときにツナをまったく意識しなかったことをいまになって思い出すほどで、少なくとも劇的な変化はなかったようだ。缶が開いているところを見ると入れわすれてはいないはずであり、おそらくたんぱく質は摂れているはずだからそれだけでもまあよしとしたい。ツナより昨日入れた分のたまねぎがくたくたになっていたのがおいしかった。「おいしすぎる」といったとき、ふつうは「おいしさの度が過ぎる」を意味するはずだが「おいしさが口中を過ぎ去る」という解釈もできるなと思った。うまかったという感慨と物寂しさが口中に漂い入り交じるその刹那、ひとは「おいしすぎる」とつぶやく。おいしが過ぎ去った状態をそのまま表現することが数秒前の喜びの余韻を思わせると同時にいままさに消え去ってしまったことへの哀愁を伝えることになるこの転換はどこから呼び起こされているのだろう。

カテゴリー: 日記