今でもそうだが、いわばいろいろな飾りをぶらさげていることによって表面化しているのは、今ではもう我慢できないように思える者が、ぼくと読まれているものとを断乎として分離している無口の、社交性のない不平家なのです。だからぼくは自分が自由だと感じ、いろいろな観察を書きとめたことの、つまり恐怖が不幸のもとなのだ。すなわち、自分をすっかり満足させるもっと大きな仕事をめがけて落ちてくるだけであり、不幸そのものはひどく絶望した人間でさえ認めなければならない。人間性の一体性は、恐るべき騒音の単なる小さな譲歩がなされていることだ。
(この日記はマックス・ブロート編『決定版カフカ全集7 日記』(谷口茂訳、新潮社、一九八一年)で使用されている語句の引用・組み替えによって作成しました。)