「ちびまる子ちゃん」について語るときに僕の語ること1


以前にYouTube Liveで配信しながらひとりで壁に向かってしゃべった内容をAIに要約させました。

🟡【配信冒頭〜導入部】

  • 話者は久々の配信で声が出にくいと述べる。「人と話す機会がない」「2週間ぶりに声を出した」など、話すこと自体に感覚を取り戻すまでのぎこちなさが冒頭の雑談に滲む。
  • 最近「ちびまる子ちゃん」に夢中になっていること、それを人に心配されたこともあって、「ちゃんとやってますよ」というアピールも兼ねて配信を再開したという経緯が語られる。

🟡【読書のきっかけと経過】

  • 約3週間前にちびまる子ちゃんの原作コミックスを読み始め、1巻〜17巻まで読了済み。アニメは以前から知っていたが、漫画を体系的に読むのは初めて。
  • 読書の進捗や感想はInstagramのストーリーで逐次記録しており、フォローしていればその思考の流れも追えるとのこと。
  • ちびまる子ちゃんを「どのように読むか」はまだ明確には決まっていないが、読書を通じて感じたこと、作品内での変化に着目して語っていきたいと述べる。

🟡【原作初期と後期の構造的な違い】

📘前半(1巻〜11巻程度)

  • 登場人物は家族と一部の同級生(たまちゃん、花輪くん、丸尾くん、はまじくん程度)に限られ、話の中心は「出来事」や「まる子の感情の揺れ」にある。
  • 同級生キャラの数も少なく、エピソードごとの登場人数も限られている。
  • キャラの記号性は弱く、現実の「クラスメートあるある」に近い印象。
  • その分まる子自身の視点や反応、情緒が際立ち、素朴で詩的な感覚が強い。

📗後半(12巻以降〜)

  • 登場人物が急増し、それぞれが「属性キャラ」として確立される(例:野口さん=不気味、藤木=卑怯など)。
  • 一話完結の中で「このキャラが出てくればこうなる」といったパターン的展開が増え、キャラ同士の組み合わせで話を進める構造に変化。
  • これは現在のアニメ版の印象とも重なりやすい。
  • 絵柄も変化し、後半はトーンや影が多用され、演出が“濃く”なる。
  • この変化を話者は「キャラ足し算構造」と呼び、やや飽きがくると評している。

🟡【キャラクターの記号化と作品構造の変化】

  • 後期に登場するキャラの多くは強いキャラ付けをされており、再登場時も一定のギャグやノリが繰り返される。
  • 例:藤木は「卑怯」キャラとして「卑怯だからしょうがない」とまで言われ、ギャグパターン化される。
  • ストーリーは「何が起こるか」より「誰が出るか」に依存する傾向が強まり、出来事の起伏よりキャラ消費が中心となる。
  • 話者はこの構造にやや疑問を持ちつつも、「前半の感情中心の話の方が好み」と言明。

🟡【映画『ちびまる子ちゃん イタリアから来た少年』の視聴と批判的考察】

  • 2015年公開の劇場版を視聴したことが、「まる子」熱再燃のきっかけ。
  • 内容は「日本にホームステイに来た外国の小学生たちがまる子たちと交流する」というもの。
  • 記号化された「外国人キャラ」が使われ、「日本の良さ」や「日本人の優しさ」を引き出すための装置として機能している点を批判。
  • いわゆる「日本すごい系」テレビ番組と構造的に類似しており、ナショナリズム的で空疎な表現が目立つとする。
  • しかし一方で、ラストの別れのシーンでは「感情的に泣けてしまう」矛盾も語られ、そこに作品の「猟奇性」(=理性では評価しきれない身体反応)があると分析。

🟡【「外国」「外部」としての装置的機能】

  • 外国や外国人キャラは、「別れ」を描くための装置として登場することが多い。
  • 例として「まる子、南の島へ行く」回を紹介。まる子が旅先で出会った現地の少女プサディと親しくなるが、帰国時に別れが訪れる。
  • この「一時的な親しみと別れ」の構造は、物語を感傷的にし、特別な印象を与える装置として機能。
  • 外国というのは、リアルな文化表現ではなく、内面を照らし出すための「観念」として用いられている。

🟡【今後の展望】

  • 現在、各話の登場人物や掲載時期などをエクセル的に整理し、アニメや原作の時期的対応関係、キャラ登場頻度などを可視化しようとしているが、まだ初期段階。
  • 将来的には、こうしたデータや分析を通して「ちびまる子ちゃん史論」を構築していきたいと考えている。
  • そのためにも、アイデアとエビデンスを両輪にしつつ、考察を深めていく意欲が語られる。

📝全体の要点(要約の要約)

ちびまる子ちゃんの原作を通読した話者は、前期の素朴で情感的な描写と、後期のキャラ主導の構造化された物語の違いに注目する。後期はキャラが「記号化」され、再登場時のギャグ構造が目立つが、前期ではまる子自身の揺れが中心に据えられ、感情の自然な動きが描かれていた。また、「外国」や「外部」の描写は、異文化理解ではなく別れや感傷を引き起こす装置として機能していることを指摘。今後は、作品の構造分析を進め、ちびまる子ちゃんを一つの「資料」として深く読み解く試みに着手していく意向である。

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