帰宅直後から左脚がかゆい。足首からすねにかけて4箇所ほど蚊に刺されたようで、とくに足首のそれはかなり腫れている。どこで刺されたのかはわからないが、靴下と靴を履いて街中をとことこ歩いている状況で刺されることもそうはないだろうし、帰宅してから刺されたのだろう。とすると自宅内にはいまなお蚊が潜んでいることになるが、それらしい姿が見当たらない。椅子にもたれて干からびたからだをだらけていると、蚊に刺された左脚どころか蚊に刺されてもいない右脚や右腕や左胸や首まわりや背中などなどにもかゆみがあらわれてくる。爪を立ててからだじゅうをかきむしりたいおもいをこらえ、かゆみに生じる部分に肌着をすりすりする。こちらをすりすりしているとつぎはあちらがかゆくなり、あちらをすりすりしているとついさっきすりすりしたばかりのこちらがまたかゆくなる。肌には赤いぽつぽつが出ている。むかしからからだじゅうの肌にたびたび赤いぽつぽつが出る。夏場は特に出るから汗か何かが原因なのかもしれないが、べつに冬でも出るときは出る。そのくせ背中はおおきな白斑が出る。ここしばらく赤いぽつぽつもおおきな白斑もあまり目立ってあらわれないな、シャワー後にからだに塗るクリームをキュレルに変えたのがよかったのかなとかおもっていたが、あれやこれやで抑えこんだところでなにかの拍子に異常は噴出するらしい。あるいは赤いぽつぽつがあるほうが正常であって、無理に抑えこむのもよくないのかもしれない。何にとってよくないのかはしらないが、肌にも赤くなりたいときくらいある。かゆいからさっさと寝る。今週は朝いつもの時間に起きられていない。慢性的な睡眠不足が深刻な睡眠不足を呼び寄せている。眠りの質を高めるために軽く運動をして、そのせいでひどくつかれて日中の眠気が増し、ぐったりしたからだでぐったりと寝て、ぐったりしたまま朝を迎えたりする。休みをとろうかと数分迷ったあとに打ち合わせの予定を思い出して仕方なく起床する。夢のなかで金を稼ぎたいが、それより夢のなかの自由が守られているほうが大事だろうから仕方なく目を覚ます。終わらない孤独の夢みたいな日々を過ごし、毎晩数時間だけ浸る眠りのなかで生き生きとする。夢のなかなら肌もかゆくない。
【告知】第2回ラブレターについて語らう茶話会を開催します
開催概要:
2025年4月5日に「第2回ラブレターについて語らう茶話会」を開催します。
愛を書こうとすること、愛を書いて伝えようとすること、書かれた愛を受け取ること、書かれた愛を受け取ってしまうこと、あるいは他人に宛てられた愛を誤って受け取ってしまうこと……テキストに重きがおかれた二者関係においてどのようなコミュニケーションが生成されるのか。もしくはそのような二者関係がいまどのような状況におかれているのか。そんなぼんやりとしたあれやこれやを念頭におきつつ「ラブレター」から連想したことを話し合いながら、ほがらかとお茶をすする会、ということになっています。2024年10月に行った初回の記録は別ページにてまとめておりますのでご参考ください。
第1回では付箋を活用したブレストを起点として、まずは論点を出し合うことに主な重きが置かれました。
第2回では少し趣を変えて、この会で行う議論自体を参加者間での制作的(ラブレター的?)コミュニケーションの試行の場にしたいとおもいます。
そのための手法として2025年1月に行った「マルグリッド・デュラス『ヴィオルヌの犯罪』読書会」でも取り入れた諸々を流用しながら、前半は参加者間でのコミュニケーションの回路を開くことに時間を割きます。(当該読書会の次第はこちら。また、参加いただいたかたが感想をツイートしてくれています。「ヴィオルヌの犯罪 読書会」でツイート検索すると出てきます)
後半からはベタにラブレターについての議論を行います。「ラブレター」をとっかかりに前半の実践も活かしながらみなで話し合い、いまわたしたちがある個人との関わりに際して可能なことを探っていければとおもいます。ゆるふわにおもわせて過剰にコミュニケーションを強いる、意外とハードな内容になるかもしれませんが、ご関心のあるかたはぜひご参加ください。
日時:
2025年4月19日(土)2025年4月5日(土)
※19日は出張と被っていたため変更しました。14時30分から18時30分まで
(入室開始は14時00分から)場所:
千代田区内貸し会議室(九段下駅または神保町駅から徒歩数分)
※申込者には別途詳細をお伝えいたします。参加費:
1,000円
(スペース代に充てさせていただきます。)定員:
6名
お申し込み:
Googleフォームからご登録ください。当日の進行(構想中):
14:30 イントロとして武藤が当日のプログラムを説明します
14:50 参加者同士で体や言葉を使いながらなんかいろいろやります
16:00 みんなでいい感じに話します。おおまかな方向性は※部分に記載
18:30 いい感じの話を終わり、みんなでお片づけします
19:00 完全撤収※まだなんにもアイデアがないので全然ちがう流れになるかもしれません。4時間って長くね?という気配もあるので短くするかもしれません。
※過去に行った『ミレナへの手紙』読書会の配布資料が話し合いの叩き台となりそうなので一部を公開いたします。当日行う話し合いの方向性を掴んでいただく参考になると思います。また、読書会での議論をベースに作成したアフターテキストは本サイト内で公開されておりますのでこちらもご参考いただけます。(2025/3/8追記)
【抜粋版】配布資料
アフターテキストこんなひとにおすすめ:
- ラブやロマンスに思い入れのあるかた
- 胸いっぱいに愛をあふれさせたいかた
- 内省的だけどコミュニケーションへの熱望があるかた
- 魂で会話したいかた
留意事項:
- 会場は飲食可なのでお茶とかお茶菓子とか用意します。軽くつまめるお菓子類の持ち込み歓迎。ただしアルコールは厳禁です。へんに手の込んだものとかも場にそぐわないのでお控えください。
- 会場内は禁煙です。喫煙される方はお近くの喫煙所をご利用ください。
- 上記ほか、会場で定められた規則やルールは厳守にご協力ください。
- プログラムの都合上、聴き専のような参加はできません。また、他者への介入を強いるような内容も想定されるため、心理的に他人に侵入されたくないかたの参加はお勧めしません。ぎゃくに、容赦なく他者の心理等に踏み込むような暴力的なかたには退席を求める場合があります。節度と配慮を持った参加をお願いします。
- 軽くではありますがからだを動かすプログラムとなります。動きやすい服装、汚れてもよい服装でお越しください。土足で入る会議室の地べたに腰を下ろすくらいは要求する可能性があります。(3/20追記)
- ペアワークやグループワークを行う可能性が高く、段階を踏んだプログラムを組む予定なので、開始時刻に遅刻するとたぶんいろいろ台無しになります。遅刻される場合はご了承ください。(冒頭にイントロを設けているのは遅刻者受け入れ用のバッファの意味もあります。)
- お申し込みに際していただいた個人情報は本会の実施に際してのみ利用いたします。
- メールアドレスや本名の申請に抵抗がある方はSNSのDM等から参加希望をお知らせください。
- 本会で発された言動は、今後「ラブレター研究会(仮)」の活動において何らかの参考にされる可能性があります。
主催:
ラブレター研究会(仮) 担当:武藤
※お問い合わせは以下のいずれかからお願いします。
mail: azuki7.08あっとgmail.com
twitter
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【議事録】第1回ラブレターについて語らう茶話会
開催日時
2024年10月19日(土)
15時30分から18時00分まで会場
府中市内貸しスペース
参加者数
4名
飲んだお茶
要約
第1回「ラブレターについて語らう茶話会」では、ラブレターの伝達手段や愛の表現、コミュニケーションのあり方について議論が交わされた。ラブレターは、二者間の閉じた関係性の中で暗号化され、時に第三者の介入によって誤配や暴力的な作用を生む。特に、ラブレターが書き手のナルシシズムに基づく場合と、読み手によってラブレター化する場合があることが指摘された。
また、愛の持続可能性(サステナビリティ)として、二者の関係が固定化せず、変容し続けることの必要性が論じられた。加えて、特定個人に宛てられたメッセージが受け手に「私を見ている」という実感を与えなければ、ラブレターは成立しないという見解も示された。
さらに、「ラブレタリティ」として、意図せず解釈される愛のメッセージや唐突に訪れる手紙の暴力性についても議論が展開された。こうしたテーマを通じて、ラブレターが単なる手紙以上の「関係性の生成装置」としての可能性を持つことが浮き彫りになった。
主な論点
二人でいることの孤独について
- わたしとあなたという単位に閉じた共同体において、言語活動はどのような発達を見せるのか。
- 二者間で交わされるうちに過熱化する文体。
- ふたりで行われる言語ゲームとしてのラブレター
- ラブレター観にも種類がある。
- ポエジーにあふれた手紙。
- ハートマークに名前だけ書いた手紙
- アニエス・ヴァルダ『幸福』
- ゆえに第三者に誤配されたときに揶揄や冷やかしの対象になる。
- 二者間の信頼のもとで書かれ、届けられる。
- 暗号化が図られる。あるいは暗号化の意図がなくとも、二者間で発達した言語自体が暗号化する。
- 例:おじさん構文
- おじさん構文はおじさん的共同体の言語クラウドに接続してしまっている。
- おじさんはなぜ・どうして・どのタイミングでおじさん構文の言語クラウドに同期するのか。
- ローカルな言語を生成していたつもりがいつのまにか既存のローカルな言語に同期してしまうこと。
- 逸脱も吸収してしまう大きな共同体の引力。
- ひとを排除しないやさしさ。
- 非常時における国家への動員。
- 一者にとどまるうちでも相手への思いが募っていく過程で文体は過熱化する。
- 過熱化した内なる感情の発露として、最初のラブレターは書かれる。
- ラブレターの起点はナルシシズムに基づく。
- ナルシシズムからはじめられたラブレターが二者間のやりとりに転じる。
- 二者間での往還を重ねる過程で、私は私を喪失し、私とあなたを束ねるひとつの主体になる。
- もしくは、ラブレターは読まなくともそれが届けられるという事実を持って愛が伝わるのでは。
- 手紙に書かれる言葉はほんとうに重視されるのか。
- 「あなたを愛している」を例とする誰でも利用可能な定型文で充足する。
- 言語は複製可能性に依拠して運用される。
- 誰でも利用可能な定型文が効果を発揮するためには二者間に閉じる必要がある?
- そのテキストが意味するとおりの感情がそのままに伝達されること。
多数に向けられた発されたメッセージを自らに向けられたものとして受け取ってしまうこと
- 「このひとは私をみている」という感覚を得ること。
- 特定個人に宛てられたラブレターは書き手からみえる相手の像を伝えている。
- 「このひとは私をみている」という実感を与えられないラブレターは愛を伝達しない。
- 「このひとは私をみている」という感覚はどのようにして与えられるのか。
- ラブレターの書き手は、自分からみえる相手の像を伝えようとしている。
- 書き手から推認される受け手の人柄や性格が、受け手にとって自分事に思えるかどうか。
- それがラブレターであるか否かにかかわらず、受け手の解釈次第でラブレターたり得てしまう。
- 予期せぬ破局をもたらすものとしてのラブレター=ラブレタリティ
- とつぜん送られてくる送り主もわからないラブレターは暴力である。
- たとえば自然災害。
- 唐突に送られてきては否応なく受け取りを強いられる「ラブレター」
- 「ラブレター」の受信を強いられることで「私」の変容をも強いられる。
- 被災することで被災していない地域のひとから「被災者」としての目線を向けられる=「被災者」としての役割を背負わされる。
- 「被災者」としての役割を強いられることで、「被災者」に対して広く一般(≒公共)が求める発言を期待される。
- 「被災者」らしくない言説は(たとえ「私」にとって真意であったとしても)受け入れがたいものとして扱われる。
- 銃殺に快楽を感じてしまったという戦時体験は公から排除される。
- 破局がもたらす「私」の喪失
- ふつうの意味でのラブレターは「わたし」と「あなた」を「わたしたち」という共同体に導く。
- 自然災害を例とする公共性のある出来事は「わたし」を「地域」や「公共」といった共同体に強く接続させる。
- 「私」が同一化した異なる主体としてまなざされる状況で「私」には何ができるのか。
- ダンスを習得する以前のミッキーマウスはジャンボリミッキー!が踊れるようになるために練習する。
- 踊れない身体はジャンボリミッキー!を習得する過程で踊れる身体に変容する。
- ジャンボリミッキー!が踊れるようになったミッキーマウスは観客を喜ばせることが可能になる。
- 観客はミッキーマウスにジャンボリミッキー!を期待するようになる。
- ミッキーマウスは観客が期待するジャンボリミッキー!に応えなければいけなくなる。
- ミッキーマウスの身体は観客が期待するジャンボリミッキー!に拘束される。
- ジャンボリミッキー!を踊ることを強いられるようになったミッキーマウスはストリートに目覚めることはできるのか。
- 多数に向けて書かれたテキストでも、書かれた内容について身に覚えがあれば「私について書かれている」という感覚は得られる。
- ラブレターは書き手のナルシシズムによって書き出されることもあるが、読み手のナルシシズムによってラブレター化してしまうこともある。
愛のサステナビリティ
- 「わたし」と「あなた」が同期した「わたしたち」の世界における持続可能性。
- 硬直状態が続くと第三者を求め始める。
- 二者間にとどまる必要性。
- 「わたしたち」のなかで変容しつづけることは可能か。
- 「わたし」が変わること。
- 「あなた」が変わること。
- 「あなた」が変わることを許容するためにあなたに「あなた」を期待しない。
- あなたに「あなた」を期待しない状況下であなたであることの必然性。
- 東浩紀『訂正可能性の哲学』:「実は○○だった」(遡行的訂正)
- 変容しつつ、元からこうであったという筋道がつくられる。
- 「以前の私/あなた」の権利をどうするか。
- 「わたしたち」をとりまく環境が変わること。
- ラブレターに締め切りはない。
ラブレターの伝達手段
- 手紙
- 靴箱に入れる
- 郵便局に委ねる
- 第三者の目に触れる可能性
- 第三者の手に渡る可能性
- 誤配を予防するために暗号化=二者間でのみ通ずる言語
- 配達員に指定された届け先に渡すという責任が生ずる。
- 内容証明郵便
- LINE
- 第三者への流出可能性
- UIにスクリーンショット機能が実装されている。
- プラットフォームが第三者への伝達を組み込んでいる。
- トークルーム
- 声(トーク)としての短文チャット
- 空間(ルーム)に響く
- 平面に書くこととの差異(たとえば掲示板)
ラブレター以外の愛の伝達手段
- 音楽
- 歌
- 演奏
- プレゼントを贈る
- 花束
- ブランドバッグ
- プレゼントを贈る鳥もいる
免責事項
- ラブレターについて語らう茶話会は、ラブレターについての議論を交わすことを通して、各参加者にとってのコミュニケーションの可能性を探ることを目的に開催しています。
- ラブレターについて語らう茶話会における発言および本議事録は、各参加者が他の参加者を宛先に発した個人的な意見、考え、思いつきによるものです。公共に対し特定の立場や意見を主張・表明するものではなく、また、非参加者からの批判に応える責務を持ちません。
- 本議事録は、ラブレターについて語らう茶話会に関心を持っている非参加者に対し、雰囲気を知ってもらい、参加の機会を促すために公開しています。
- 本議事録は、主催者が勝手に書いているため、当日に語られていない内容も含まれています。
日記250216
目覚める前のどこかで、声をかけられていた気がする。呼ばれる名前が確かにわたしであるという手応えを感じながら、それでも目を開ける前にはすでに、その声は遠くに溶けてしまっていた。ふとした呼びかけに反応し、ふとした呼びかけを返す。そんな往復だけが、この世界でわたしがわたしでいられる理由なのかもしれない。
体は鈍く重い。先日のストレッチや筋トレの余韻が、背中や腰に張り付いている。けれど、その鈍痛すらもどこか安心感を与えているようだった。筋肉が疲労とともに強くなっていくように、日々の些細な負荷も、わたしをわたしとして確かにしていく。
部屋で横になっていたとき、ふいにあのときの彼女の顔を思い出す。彼女は呼びかけられることも、こちらから呼びかけることもなかった存在だった。ただ見つめるだけで、ただ遠くにいるだけだった。名前を呼ぶことも、名前を呼ばれることもなく、届くことのない距離にあり続けた。しかし、だからこそいまもなお、彼女への思いはわたしの中に生き続け、過去から未来にわたしをつなぎ止めている。
距離があるからこそ、届いたときに確かめられるものがある。わたしはあの頃、距離そのものに怯えていた。言葉は届かないかもしれない、あるいは届いたことで拒絶されるかもしれない。そうして、わたしは距離に言葉を閉ざした。しかし、言葉は本来、距離そのものだ。わたしとあなたを分け隔てるその隙間に、声は落とされる。そして、そこから応答があれば、わたしとあなたをつなぐ糸のように、その声が形を持ちはじめる。
カレーうどんに納豆と卵を落とし、かき混ぜながら、こんなことを思う。食べることすら、体に何かを届け、体が受け取るという応答なのかもしれない。わたしは言葉を交わし、食べ物を摂り、そうやって絶えず距離に何かを送り続けている。届くかどうかわからなくても、わたしはそれを続けるしかない。
ショルダードレスを買おうか迷っている。鏡に映る自分の姿を想像しながら、これは似合うのか、これを着て外に出る自分はどう見えるのか、そんなことを考える。衣服をまとうことも、わたしと世界の距離を調整する手段なのかもしれない。
呼ばれる名前、呼びかける声。過去から届く思い、届かずに漂う思い。わたしは今日も、距離に言葉を送り続ける。それがわたしを、わたしにしている。
日記250207
夢の中で、私はひとり雪に覆われた街を歩いていた。空気は凍りつき、まるで時間そのものが止まってしまったかのようだった。街灯が湿った舗道に淡い光を投げかけ、溶けかけた雪が黒い水たまりとなって冬の空を映していた。人々の影は微かな霧の中に現れては消え、黄色がかったランプの光の下で揺らめく影に過ぎなかった。雪を踏みしめる足音だけが響き、街全体を静寂のヴェールで包んでいた。
そして、彼女を見つけた。
明るく照らされたショーウィンドウのそばに立つ彼女。顔の半分は黒いウールのマフラーの下に隠れていた。長いコートのポケットに手を入れ、凍える空気の中に白い息をそっと浮かべていた。姿の一部は隠れていたが、私は一瞬で彼女だとわかった。胸の奥に懐かしい温もりが込み上げる。それは遠い過去の残響であり、記憶の中で凍りついたまま、ずっと待ち続けていた存在だった。
私たちの目が合った。ほんの一瞬のことだったのに、時間が引き伸ばされ、周囲の世界が霞んで消えていくように感じた。私はためらいがちに一歩踏み出した。彼女は微かに微笑んだ。それは一瞬の、ほとんど見えないほど儚い微笑みで、宙に舞う雪の結晶が光を屈折させて生み出した幻のようだった。
言葉を交わさぬまま、私たちは歩き始めた。その沈黙は重くはなく、むしろ自然で、必要なものにさえ思えた。彼女の歩みは軽やかで、まるで世界の上を浮かんでいるようだった。道は続き、眠る建物の間をくねりながら伸びていた。暗い窓は閉じられた瞳のようだった。
遠くに古い駅舎が見えた。彼女は立ち止まり、それを指さした。
「覚えてる?」彼女は静かに囁いた。私はうなずいた。忘れるはずがなかった。あの冬の空の下で、私たちは離れ離れになったのだ。ここで道が分かれ、言葉は沈黙へと変わった。それでも、この瞬間——心臓の鼓動の合間に宿る吐息のようなひとときは、どんな後悔にも消し去ることのできない優しさを含んでいた。
私は彼女の方を振り向いた。彼女の瞳は静かで、奥深く、測り知れなかった。しかし、その奥に、微かな期待と壊れそうな希望を見た。
迷いなく、私は彼女の手を取った。
温かかった。凍てつく空気とは対照的に。その親指が私の肌の上でかすかに震えたが、彼女は手を引くことはなかった。むしろ、そっと指を絡めるようにして、今この瞬間を封じ込めるかのようだった。
——そして、すべてが消えた。
暗闇の中で目を覚ます。部屋には私ひとり。夢の余韻が苦い味となって、まだ空気の中に漂っていた。
日記250131
言葉が枝をなす木の中で、何かを掴もうとして手を伸ばす。手の先に触れるものが葉なのか、それともただの空気なのか、確かめる術はない。言葉はただ並べられるだけでは不十分で、それを編み込むことでしか届かないものがある。千の言葉を尽くしても伝わらないことがあり、たった一言で何かが始まり、あるいは終わることもある。
すれ違うことを前提にしたような言葉の並びに、偶然性が忍び込む。言葉を選ぶというより、言葉に選ばれているような感覚。言葉の向こうにある想いに手を伸ばし、もがく。言葉に絡め取られながら、それでも青空を仰ぐ。掴み取れるものはなくても、視線の先に何かが映る。
触れることのできない距離が生まれ、遠く見つめ合うほかなくなることがある。言葉の交わりが失われたあと、残されるものは目の前にいない誰かの姿を思い描く視線だけかもしれない。それは悲しみではなく、祈りに近いもの。遠く離れたままでも、互いの存在を確かめる最後の手段として、目を向ける。そこに見えているのは、すでに過去の残像かもしれない。それでも、見つめることが唯一の交感として残る。
木々の葉が揺れ、枝が軋む音が響く。その隙間から空が覗く。言葉は、もはや手繰り寄せるものではなく、ただそこに漂うものとしてある。
日記250130
名前を呼ぶという行為が持つ熱は、愛や恋と呼ばれるものよりもはるかに静かで、しかし確かにそこに存在するものとして響く。呼ばれることによってわたしはわたしとなり、呼ぶことによってあなたはあなたとして立ち現れる。名前は、単なる記号ではなく、互いの存在を証明し、隔たりを越えて繋がるための細い糸となる。
この世に遍在する「愛」や「恋」という語が、時とともに移ろい変化するものだとすれば、ただ君を好きでいることは、そうした言葉の外側に位置し、意味が固定されることのない宙吊りの状態にあるのかもしれない。言葉がもたらす社会的な枠組みから逸脱し、ただ個として向き合うことができたとき、その呼びかけは名前に宿る温かさをより純粋なものへと変える。
名前を呼ぶという反復の中で、互いは互いとして刻まれる。日々繰り返される呼びかけが、名前を単なる音の羅列ではなく、かけがえのないものへと変えていく。固有名は、他の誰でもない「あなた」と「わたし」を呼び寄せることで、関係の輪郭を確かにする。それは社会の中で共通のものとして与えられた名前とは異なる、新たに生まれた固有性を帯びている。
そうした名前の響きが、二人しかいない空間の中で静かに反響するとき、その温かさは何にも代えがたいものとなる。誰のものでもない時間と空間の中で、ただ呼び、呼ばれる。その単純な反復が、関係をひとつの確かな存在へと昇華させ、巡り合った景色をそっと消えぬようにとどめていく。
日記250128
風の冷たさを肌で感じる。君のいないいま、いつもの風景がやけに広く感じられる。それでも月は変わらず空に浮かび、薄い光を静かに降り注いでいる。その光があまりに穏やかで、君を失った喪失感をかえって強調しているようにも思える。
部屋のなかで過ごしながら、君との過去を聴くように、目を閉じて思い出の欠片に触れる。過去の声はたしかに私に語りかける。それは後悔の形をとることもあれば、君と一緒にいたときの温もりを再び抱きしめることもある。月夜に浮かぶ薄い影のように、その声はいつまでも消えない。
静かな時間が流れる。目を上げれば、空気の中に柔らかな気配が漂っているような気がする。それは何かを約束するものではなく、ただ小さなきらめきを持つ存在だ。君のいない未来に現れるかもしれない別の灯火。その微かな予兆を抱きしめながら、私はまた小さな希望を胸に灯す。
君といたころ、私はこの世界の奥底に隠れた静かな声を聞こうとしなかった。それは過ぎ去ったいまになって気づかされたものだ。けれど、その声に耳を澄ませることが、君がいた意味を、君を失った意味を、私自身のなかで紡いでいくことになるのだろう。月明かりに浮かぶ薄い影。それがある限り、私はまだ闇の中を歩く力を持っている。
今日という一日もまた、そんな静かな光の中で終わっていく。やわらかで、やさしいほうへ倒れ込みながら、心のなかに残された灯火を頼りに、明日という未知の先へと進んでいく。
日記250126
やわらかな時間が流れ、日常の中で言葉を探る。一瞬の視線が物の表面に触れ、その奥行きを試みる。指が滑らかにページをめくるたび、目に見えるものが輪郭を持ちながらもその先を隠しているように感じられる。
部屋を整えるとき、ふと机に置かれたコップの縁が目に留まる。そこに宿る質感は、何度触れたとしても言葉に尽くせない。触れるたび、表面に刻まれた痕跡がわずかに変わり、それが時間を含むという事実に気づかされる。
話の中で、ふたりの感覚が交錯する場面を思い出す。言葉が人から人へと移るたびに、それはまるで別のものへと変化する。その変化がどこに宿るのか、問いながらも確信には至らない。ただ、言葉が触れた瞬間、その言葉が形を持つという感覚は確かだ。
夜の窓辺で手を伸ばし、指先に空気の冷たさを感じる。ふと目に入る影や光の移ろいは、物そのものが持つ特性ではなく、自分がどの位置にいるのかを示しているように思える。その場所が、かたちを変えては私を包み込む。光と影の境界が曖昧になるたび、そこにある縁が浮かび上がる。
ページの中に潜む言葉が触れてくる。その言葉の配置が、視線を誘い、読み手の記憶をくすぐる。そのくすぐりは、誰にも教えられなかった肌理の秘密をそっと開くようなものだ。それは一方で、読者の意識を突き放し、物語の中に新たな縁を作り出す行為でもある。
日記250124
動き出す体にかすかな疼きが宿る。筋肉の奥深く、まるで忘れられていた記憶が目を覚ますような痛み。それは衰えたものが再び活気を取り戻そうとする抵抗のようでもあるし、失った時間の名残を振り払う一種の証でもある。正座から跳ねる、あるいは重りを携えて地を押し返す、その単純な行為が、日常の平板さをわずかに揺らしている。
部屋という限られた空間で、身体は壁に向かい、床を押し、天井を見上げる。ブリッジの弧は重力に挑む弾力を持ち、逆立ちの静止は、上下の感覚をあやふやにする。動作の連続は、目的を持たないがゆえに自由だ。労働の時間とは異なる、ただの身体の営みとしての動き。その中で、筋肉と骨が互いに語り合うような感覚が蘇る。
運動の合間、プロフェッショナルの仕事を見つめる。無感性を自覚する者が選ぶ、自らの無意識を乗り越えようとする行為――ゴミを拾い、コーヒーを淹れ、車を磨く。その細やかな反復の中で、人は社会において微かな痕跡を残そうとする。単なる習慣が持つ残酷な美しさに、自分の身体が呼応するのを感じる。触れた筋肉は固さを失い、指先に宿る熱が少しだけ心を動かす。
夕暮れ時、湯気が立ち上る鍋の中にささみや春菊を沈める。出汁の香りが空間を満たし、やがてうどんが締めくくる。食卓の余韻に耳を澄ませると、日々の運動とともに、何かが少しずつ形を変えようとしているのを感じる。自己の輪郭が、動きと静止の境界でわずかに揺らぐ。
生きていることの確認。触れる手の温度、筋肉が語る痛み、そして目を瞑ることで訪れる休息。その一つ一つが、生活のモチベーションを拾い上げ、薄暗いところでそっと光を灯している。