ここ2ヶ月くらいで近所にまいばすけっとが新設され、長らく改装工事中だったマクドナルドはついに再オープンした。両者に今日はじめて訪れた。リニューアルしたマクドナルドは店舗は縮小されてドライブスルーを主に据えたような印象だった。テイクアウトで利用したため店舗の内側をじっくり観察したわけではないが、以前は客席も広く高校生や家族連れがよく居座っており、かくいうわたしも仕事帰りやたまの休日に本を読んだりPCを持ち込んで原稿を書いたりして長居したものだったが、そうした過ごしかたへの許容は縮小しているようだった。まいばすけっとはビールが安かった。助かる。
9月は出身地である秋田県を二度訪れた。秋田駅の改札を出ると秋田犬の大きなオブジェクトが待ちかまえていて、これも何度か目にしていまや見慣れた光景ではあるが、じぶんが秋田に住んでいるころにはなかったはずだ。生まれてから20年ほど過ごした土地ではあるが、幼いころからひきこもり気質でまともに外出した経験も少なく、馴染みのエリアや通い慣れた店もない。時間の経過で記憶もあいまいになっており、もとからこうであったような気がしてこなくもない。
かねてから帰省なんてしたところでその地ですることもなければさして会うひともなく交通費だけがやけにかかって無駄なだけではないかとかんがえており、現に去年仙台出張のついでに立ち寄るまでは5年ほど訪れる機会はなかったのだが、なぜここへきてひと月に二度も訪れるようになっているかといえば、ひとえにわたし自身に近年芽生えた舞踏への関心ゆえである。かの著名な舞踏家である土方巽は秋田県秋田市出身であり、土方の舞踏と東北性はたびたび関連づけられながら論じられてもいる。この土方を被写体に秋田県羽後町田代を主な舞台に写真家の細江英行が撮影した写真集『鎌鼬』に関連する展示を行う鎌鼬美術館が田代にあり、一度は訪ねてみたいとおもっていたところ、調べてみるとこの9月の毎週末に土方巽(および土方と同じく秋田出身の舞踏家である石井漠)の名を冠した舞踏のイベントが鎌鼬美術館も含めた秋田県の各地で行われるという。舞踏という表現を知ろうとする以上は論文や写真や映像だけ眺めていても仕方がなく、現役の舞踏家の公演もみられるというのであればいい機会になるだろうとおもい、短期間に二度も帰省(にみせかけた観光)を行うに至る。
一昨日に行った羽後町は秋田市からそれなりに離れていて、田代は峠のうえにあり、さくっといける土地ではなく、むろんこれまでも訪れたことはない。二週間まえに秋田に訪れた際は三種町で行われたイベントに参加したが、こちらは田代ほど遠くはないがやはり意識的に訪れた経験はないようにおもう。生まれ育った土地を離れてからそう短くない時間が経過して知らない文化にふれる経験を重ねるなかで関心の対象が変わらなければこれからも訪れることはなかったであろうこれらの地域はわたしが生まれ育った土地とおなじ名称をあたえられていて、知っている街の知らない光景に出会ったようなおもいをした。そこでは秋田の名のもとで何十年も暮らしているひとびとがいて、わたしがそのひとたちと出会い声を交わすには一度外様の人間になる必要があったということにみょうな感慨すらおぼえてしまう。
あるていどは知っているはずの秋田市内でも、わたしが上京したころにできたという古書店で常連客のひとらと本や小説の話をしたり、10年くらいツイッターでつながっていた秋田市在住のフォロワーとはじめて顔を合わせておたがいの好きな音楽の話をしたり、そのフォロワーと古書店で知り合ったスナックのオーナーのお店に行ってまた音楽の話をしたり、あるいは別の日には、あきた文学資料館なる施設で名誉館長から文学や政治の話を聴いたり、こうした小説や音楽といった文化芸術をきっかけにおこなわれるひとびととの交流に十代のころはただあこがれるだけであったが、いまそれがしぜんとできる状況になっていることにすなおにおどろいた。
他方でかつて交流があっていまだに付き合いのあるひとはごくごく少数に限られてきている。 えてしてひとはいろんなひとと出会っては、それが最後だとおもわぬうちに多くの人との最後の出会いを終わらせているのであり、そのことじたいにさして感傷もないのだが、わたしが知っている街に知らない光景をみたり知らないひとと出会ったりしているように、わたしがかつて知っていたひとたちもここにいながらにして知らない街を暮らし知らないひとと過ごしているのだとおもうと、どこかすがすがしさを感じたりもする。