郷土愛を仮構しようという意欲があるこの頃だから、図書館で秋田県にまつわる本を適当に三冊借りた。ぱらぱらとめくってみると、一冊はあきらかに意図から外れた内容だった。タイトルだけで判断するのはよくない。ドトールへ行き、借りた本を読む。『種蒔く人』というプロレタリア文学の先駆的雑誌が、秋田を拠点に刊行されていたことを知る。プロレタリア文学を代表する作家である小林多喜二が秋田県出身であることは知っていたが、田舎にありがちな、たんにそのひとの出身地であるだけである著名人を祭り上げる空虚な地域運動としか思っていなかった。秋田で暮らしていた当時は文学にも歴史にも地域にも一切の関心がなかったから、じぶんが無知だったと言えばそれまでではあるが、無知や無関心なままでいれば地域について知ることなく過ごしつづけられてしまうのだから、やはり愛は無理やり立ち上げるよりほかない。それはどこか、同郷であるだけで著名人を応援する態度にも近いように思う。ただし、無理やりに愛があることにしようとするならば、それなりの理由や論理を後付けしていく必要があるだろう。でなければ空虚な愛が空虚なままで消え去ってしまうし、いつまで経っても文化は培われない。
日記210427
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