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日記210515

 ニコ生でコメントを書き込みながらウェザーニュースライブを見ていたら、はじめてキャスターにコメントを拾ってもらえた。ニコ生お馴染みの、映像の上をコメントが右から左に流れる構造が好きだ。画面上で、スタジオといち視聴者が、わずか数秒だけ同期する。コメントは数秒で過ぎ去っていくが、複数の視聴者による適当な書き込みは、時に塊のようになる。番組には大枠の台本がありつつ、フリートークの時間帯には、キャスターは波のように動くコメントの群れを読み、それもひとつひとつのコメントを丁寧に読むのではなく、コメントの群れの空気を読むように読み、トークの流れが決まっていく。コメントは時に拾われ、大方は無視され、しかしコメント民のなんとなくのノリがスタジオに影響を与えたり与えなかったりする。ニコ生における出演者とコメント民の関係性は、たとえばYouTube Liveのような映像とコメント欄が別の次元に独立して位置している、ごく一般的なそれとはやはり異なるように思う。出演者と視聴者の群れが一緒くたにされた異様な映像を、離れた場所にいる両者が一緒に見ることによって同期した状態。この異質な視聴環境がコンテンツの双方向性を強化する。特殊なコンテンツ=生態系は特殊なプラットフォーム=環境から生まれるのだと思う。しかしかつてに比べればニコ生もすっかり衰退して、この独特な環境も、どこにも引き継がれることなく近い将来に消えていくのかもしれない。ニコ生、あるいはニコ動の異質さは、じぶんにとって「インターネットっぽさ」の象徴であるのだが、それももう古い人間の考えだ。

カテゴリー: 日記