一日。美容室へ行き、(たぶん)四ヶ月ぶりに髪を切った。このあとどこかに出かけるんですか、と訊かれ、ぐんまちゃんのポスターをもらいにいくか迷っています、と答えると、せっかく整えたのでぜひ行ってきてくださいと言われた。散髪を終え、銀座にある「ぐんまちゃん家」という群馬県のアンテナショップを訪れると、店内には店員以外のひとがいなくてどきっとした。二〇〇〇円以上の買い物をするとぐんまちゃんのクリアボトルがもらえるとのことだったから、適当な地酒とぐんまちゃんの小さなぬいぐるみを買った。自身の関心の問題なのか、地酒以外にあまり魅力的な商品がなかった。地元の食材を利用したジャムや調味料はとってつけたような印象が否めないし、カミカミこんにゃくというジャーキー風に加工したこんにゃく、ペヤングをモチーフにしたせんべいなどは食べればそれなりにおいしいのだろうけどどうもパッとせず、手に取る気にはならなかった。飲むヨーグルトとか水沢うどんとかはよさそうだったけど、ぐんまちゃん目当てで立ち寄った買い物にしてはちょっと存在感が強いかなと思った。高崎のだるまも売られていて、先日見た映画『サイダーのように言葉が湧き上がる』を思い出した(作中に登場する街が高崎をモデルにしていた)。地酒は週末にでも飲む。
二日。昼に雨が降り、帰宅することの湿度が高くて不快だった。マスクをしているとろくに呼吸ができず、徒歩で帰宅していたこともあって、さすがにマスクから鼻を出した。別にただ歩いているだけだから近くにひとがいるわけでもないし声を荒げるわけでもなく、無理してまでマスクの着用にこだわる必要はないだろう。たぶん同じように息苦しさからマスクを外しているひとがいくらかいた。一方でマスクの負担感をあらためて感じながら、しかし他方では顔や口元を隠せるのはひとの顔を見ずに/ひとに顔を見られずに済むし、なんとなくしゃべらなくても許される感覚があるしという点で楽ではあり、十代の頃にマスク着用を義務付けられる生活を何年か過ごしたらたぶんその後もずっとマスクを着用することを好んだだろうなと思った。ほっともっとの前を通るとカレーののぼりが立てられていて、夕食をレトルトカレーにすることに決めた。
日記210801-02
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