フランスの憲法(第五共和国憲法)の冒頭を少し読んでみたら国家、選挙権、政党の順で記述が続いていたので、個人の権利についてはどこに書いてあるんだろうと思いWikipediaを見てみると、1789年のフランス人権宣言ですでに規定されており、加えて前文でその規定が前提であると宣言されているため人権規定に関する記述は省略されているらしい。
フランス国民は、ここに、人間の権利と、1789年の宣言によって定義され、1946年の憲法前文によって再確認され、補完された国民主権の原則、および2004年の環境憲章に定義された権利と義務に献身することを厳粛に宣言する。
「第五共和国憲法」前文
日中、特にすることもしたいこともなくネットを見ながらぼーっとしていたら鬱の気配がやってきたから慌てて外出をした。ちょっと外に出るだけでも気分が相当ましになることをようやく覚えた。カフェに行くにもお金がかかるし、なんて思ってはいけない。本を片手に一杯のコーヒーを注文し長居する。それだけでいい。
最近、本を読みっぱなしにすることが多くせっかく読んだ内容もあまり頭に定着していない。読み終えたらすぐ次の本を開く。次の本を開いてまもなく直前に読んでいた本のことは忘れる。本を読む行為が自己目的化していることには気づいている。文字を目で追っている快楽に耽るのも結構だが少しは書かれている情報にも気を配りたい。そういえば以前は読了後にメモを取って引用帳をつくるなどしていたがいつの間にかやめてしまった。引用帳の存在を思い出したことを機に再開してもいいかもしれない。ただ、自分の体力の都合上、本を読む時間とメモをつくる時間の両立が難しい。思い返せばメモをつくっていた頃は無職かフリーターで時間だけはあった。週五で労働に励むとできないことが多くなってくる。たまの休みくらい好きなことをしたい、好きなだけ寝たい、リラックスしていたい、無責任でいたい、なにも頑張りたくない、そんなことを思って徳の低い時間を過ごしてるうちに労働の時間が訪れる。労働するだけのどうしようもない日々を過ごしている。どうしようもない未来を描き出してしまう。そしてまた抑うつ状態に陥る。自分の場合、不調の原因の多くはこのパターンにはまってしまうことにある。どうにか週三労働して、週二勉強して、週二リラックスする、そんな生活を営めないものか。ついでに大きいことをいえば、私たちがよりよく生きていくためには、知らないことに興味を持ち、調べて、学んで、培った知識を周囲のひとと語り合うための時間がもっと必要ではないだろうか。