先週の土曜日が勤務日だったからその代休で労働がなかった。例によって特にすることもなく、とりあえず外に出ようと考え、まあそういう日だしと思い、日本科学未来館でいま特別展として行われている「震災と未来」展へ行った。場所が場所だし、企画の主催もNHKだし、そこで何かが見れるという期待などむろんあるはずもなく、けれども、10年も経つわけだから何かがあってもおかしくなく、もしかしたら、ひょっとして、何かあるかも……? とどきどきしながら会場を観て回ったがやはり何もなかった。こんなにダメでいいのか。自宅にはテレビもないから、こういう場にでも来なければそれなりにおおきな画面で震災当時の映像をある程度の量でまとめて観る機会は得られないかもしれない。その点では貴重な機会といえばそうなのかもしれず、訪れた意味が一切ないとはいえない。でも、映像だけホイっと投げて、あとは適当に画面観ててくださいね、みたいな展示はべつに展示じゃなくていい。ネットでみれるし。記憶を想起することも、記憶を継承することも、あるいはそうした記憶にまつわる営みが私たちに何をもたらすかだとか、何も考えていないし、考えさせようという気もないし、そんなことは考えなくていいと思っているんじゃないかな。それにしても原発に関する資料がずいぶん淡白ですね。現在進行形で抱えている問題なんですけどね。「被災者アンケート」と書かれたパネルに、「2021年3月で震災から10年となります。当初、あなたが思い描いていた復興と比べて、今の復興の姿をどう考えますか?」という質問に対して48.8%が「思い描いていたより悪い」と回答した結果が載っているけど、こういうのどう受け止めて、どんな思いで掲示しているんでしょうね。そんなことどうでもいいよね。羽生結弦さんの衣装を展示できてよかったね。なんだそれ。くだらねえ。こんな津波に襲われたら真っ先に、かつ、最大級に被害を受けそうな地でよくもまあこんなお気楽で。ほんとうに思想がないんだろうな。ノンポリであることはきっと公平性とはいわないよ。まあ、国に根底となる思想がないのはラッキーなことで、ないのだから私たちでつくってしまえばいい。というか、つくらなきゃいけない。未来は私たちの手にかかっています。ああ、なるほど、「震災と未来」ってそういうことですか?
日記210311
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