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日記210410

 昨年の秋頃から詩に関心が出てきて、今年に入ってから積極的に詩集を買い集めている。関心を持つようになって、詩集を扱っている書店がそう多くないことを知った。たとえば府中の啓文堂書店では、文芸書はほとんど文庫本でまかなわれていて、そもそも単行本の小説などが置かれた棚はごくわずかしかない。小説と詩では前者の読者の方が多いだろうから、わずかな文芸書の単行本コーナーにはとうぜん詩は置いていない。きちんと確認したわけではないが、たぶん谷川俊太郎の詩集がいくつかあるくらいだったと思う。また、今年から現代詩手帖を毎月買っているが、啓文堂書店府中本店ではこれも取り扱っていない。取り寄せてもらうのも面倒だから、現代詩手帖は新宿の紀伊國屋書店かブックファーストで買っている。府中には古本屋もブックオフくらいしか目立ったものはなく、徒歩圏内には夢の絵本堂という古本屋もいちおうはあるが品揃えはあまり芳しくない。新宿で買った現代詩手帖を読みながら、おもしろそうな詩集を知ったとしても、それを買うためには府中の外へ出なければならない。府中で詩を嗜むことはむずかしい。
 近所の書店事情がそんなところだから(そういえば今年のはじめに、分倍河原にマルジナリア書店という小さいながら人文書が充実した書店ができた。ツイッターをみたら店長だった方が四月一〇日付で退職したらしい。)、詩を集めるためにはまず詩を中心に扱っている書店を知る必要があった。新刊であれば紀伊國屋書店で事足りるが、やはり古本屋が望ましい。金銭的にもそうだし、新刊で手に入りづらい、過去に刊行された詩集などもたくさんある。文芸に詳しい友人が身近にいるわけでもないから、ネットで書店や詩人の横のつながりをさぐって都内の書店に当たりをつけて、順番に足を運んでみる。そんな古本屋巡業のようなことをこの頃している。

 吉祥寺の古本屋「百年」、三鷹の「りんてん舎」「水中書店」にはじめて行く。とりわけりんてん舎の品揃えには驚いて、小さな店舗であるにもかかわらず一時間近く(盛っているかもしれない)本棚を眺めていたように思う。古本屋を三軒まわって、岩成達也の詩集と詩論集、田口犬男の『モー将軍』などを買った。岩成達也の詩論集は図書館で借りて読んだことがあったが、新体詩からはじまり、萩原朔太郎の『詩の原理』を経由して、モダニズム詩へ……と日本における詩史を順に辿っていくように各期に対する論考が並んでいて、歴史書としていつでも参照できるよう手元に置いておきたい一冊だ。田口犬男の『モー将軍』は、すきな詩人である鈴木一平さんが紹介していて気になっていた詩集だから買えてうれしい。一五〇〇円で売られたのだけど、かなり価格が高騰している一冊でもあり、いまAmazonではいちばん安いところでも五〇〇〇円する。五〇〇〇円ではさすがに買えない。古本屋を直接訪れて根気よく探すとよいことがある。
 こうして毎週本屋で買い物をしているとじわじわと金銭的によろしくない状況に陥っていく。よろしくないとわかっていながら本を買い、ここまできたらもういくら出費しようと大差はないと、帰りに日高屋に寄ったりする。これではいけない。一旦本の購入をストップして、集中的に読む期間でもつくらないとそろそろまずい、とはつねづね思っている。

 帰宅して、オンラインで行われる哲学カフェに参加する。たびたび通っていた集まりではあるが、このご時世でオンライン開催に移行してからははじめての参加だった。哲学カフェとしてテーマに沿って二時間ほど話して、その後は打ち上げとして四時間ほど好き勝手に話をする。後半からワインを飲み始め、しゃべりが快調になる。哲学カフェの主催であるOさんが陰謀論系のYouTuberがおもしろいと語りだす。陰謀論系動画の話の流れから、小山圭吾というスピリチュアルなYouTuberを紹介される。小山くんにはテレパシー能力があり、元暴走族で、視聴者からの電話相談に真摯に受け答えしていて、たまにすごくいいことを言うらしい。動画の配信を六時間ほど行うこともあるようで、Oさんは長いと嘆いていた。ひとしきり笑って、解散する。

カテゴリー: 日記