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日記210415

 勤め先へ向かう朝の電車のなかで小説を読んでいると、訪れたことのない終着駅にたどり着くまでこのまま運ばれてしまいたくなることがあって、それでもいつも願望を抱くだけ抱いて、結局は時刻通りに勤め先近くの駅で降りるのだけど、降りたあともしばらくは電車のやわらかすぎる座席に身体が沈んでいるみたいな筋肉の弛緩があって、重い足取りで階段を上って改札に向かう途中でやっぱり降りなければよかったなんて後悔しながら、電車に乗り続けたところで勤務先のひとたちから怒られたり蔑まれたり収入のあてを失ったり収入のあてを探すのに苦労したりするだけでじぶんの都合が悪くなるばかりであることもわかっていて、そのわずらわしさが私の身体をわずらわしい労働へと向かわせているのだけど、週末の午後のそれも陽がのぼってまもないくらいの時間帯に日差しを首すじに当てながら乗る電車の心地よさがどこか遠くへ連れていってくれるような、二十年くらいかけて私の身体に巻きついたすべてのしがらみが全身からほどけ落ちていくようなあの状態ともまったく異なる、はるか遠くでありながら小説のように確実に訪れる終わりへの憧れを、その憧れにこの電車が向かってくれているような錯覚に魂が吸いとられていく瞬間の連続を、見て見ぬふりをしてあとかたもなく振り落としてしまうことに名残惜しさを感じずにはいられなくて、エスカレーターから伝わるわずかな振動でふらついてしまうおぼつかなさのまま地上に到達して、その足はもう勤務先に向かう以外のことをできなくなってしまっている。
 労働が終わってビルを出る。歩き始めると進行方向に追い風が吹いていることに気づいて、風に押されて多少の身軽さを感じながら駅へ向かう。歩道に面した居酒屋の入り口には風の冷たさを際立たせるように「水炊き」と大きく書かれていて、そのすぐ横に閉店時間変更のお知らせが書かれたA4用紙が貼り出されている。電車に乗って読みかけの小説をひらく。朝に読んでいたお話は昼休憩中に読み終わっていたから、おなじ本のなかの朝とは異なるお話を読んで、どこに連れ去られることもなく淡々と予定通りに電車は進んで調布で乗り換えて府中で降りて、またあしたも労働があって来週もまた労働があってどこまでも終わりがなくそれってなんだか夜空みたいだと思ったけど、東京の空では星も見えない。見ようとしていないだけで見えるのかもしれないけれど、立ちどまり方を忘れてしまった私はふらふらと歩いて疲れて腰を下ろすことくらいしかできないから、脚が千切れるほど疲れきったそのときにせめて仰向けで横になれたらいい。星が消えるみたいに終わりがきたら、きょうの私はどこか感傷的な気分で、この、小説に引きずられただけの陳腐な一時の心持ちを誰もが抱えていたらいいのにと、のんきに願うことですこしでも救われたら気も楽になるというのに、声はいつも行き場を見つけられないままでいる。

カテゴリー: 日記