手首から肘にかけての筋がだるい。おとといに腕立て伏せをして、きのうから肩や胸のあたりに筋肉痛があるのだが、きょうの昼頃になってとつぜんあらわれた腕のだるさもそのせいなのだろうか。夜ごはんにそうめんを食べる。納豆とめかぶと卵黄をのせた。帰宅時の電車のなかで意識を失うみたいに眠ったにもかかわらず、横になったら数秒で入眠できそうなほど眠い。眠すぎるから浴槽に湯はためずシャワーだけにした。早く眠りたいから早く日記を終わらせたい。シャワーする前に、『徳島文學 volume 4』収録の佐川恭一「受験王死す」を読んだ。「愛の様式」でも登場した浜崎あゆみ『LOVEppears』がまた出てきて笑った。佐川恭一の小説を読むと思い出すのは、ジャック・デリダのことだ。『弔鐘』でヘーゲル論とジュネ論を同一平面上に並列し、『絵葉書』では断片的な擬似書簡という奇妙な形式で論考が記述される。論理的な読みを退けるかのような七〇年代のデリダの著作における文体の奇怪さは、テクストにどんな効果を働かせているのかと考えたとき、ひとつは、ある形式におけるテクストの表象可能性の限界を解きほぐすことにあるのではないかと思いつくことは容易い。文体は形式=環境に左右される。手紙、メール、チャット、事務文書、詩、小説、その他なんでもよいが、いかなる媒体のうえに記述されるかという前提がそこで記述されるテキストの方向性をある程度定めてしまう。たとえばこのテキストも、日記という形式に依存することで書かれている。「これは日記である」という枠組みがあらかじめ設定されていることで、文章に付随するメタレベルの情報の遮断が行われる。もし小説であれば、作者が書いた文章に登場する作中人物はこの語りをなぜどうしてどんな手段で誰に宛てて書いているのか、あるいはそれらをどうして読めているのかどのように読めてしまうのか、といったことが、つねについてまわる。しかし日記であれば、「筆者がそう思ったのだからそうなのだ」というこれ以上ないくらい素朴な割り切りゆえに、根拠も論理もなく語気の強いアフォリズムなんかも堂々と書き記せてしまう。その形式ゆえに書ける表現や書けない表現があり、一般的な論文では抜け落ちてしまう何かを描出ために、一時期のデリダも異なる論文を並列したり書簡形式を用いたりなどの舞台設定の再考が要請されたのではないかと妄想することは、見当違いかもしれないが文章のあり方としてはそこまでおかしなことではないように思う。そしてデリダはさておき、佐川恭一の小説を読んだときにいつも同様のことを思ってしまう。音楽の歌詞を例とすると、一時期のJPOPの歌詞は空飛びすぎ翼生えすぎなどと揶揄されることは多いが、JPOPの歌詞における文脈において生じた文体として「翼が生える」という表現があり、「翼が生える」ことを真に受けようとしたとき、そこで必要となる表現は論文でも批評でもなくやはりJPOPの歌詞でなければならない。こうしたさまざまな環境における文体、とりわけ文学的な言語からは避けられるような文体を、分け隔てなく小説のなかで取り扱う志向と技術が佐川恭一からは感じられる。「受験王死す」でも、浜崎あゆみや大塚愛の曲の歌詞の引用があり、試験の問題文を模した文もあり、〈仕事では昨年後輩の上司ができ、一年目は僕が先輩ということもあって向こうも気を遣っていたようだが、二年目になった今年、ボコボコにいかれ始めた。〉という(お得意の?)丁寧な語りの終わりに今風の言葉を使用して急速に描写を片付ける一文もあり、ひとつの小説のなかに多様な文体が入り混じっている。他作品に目を向ければ、「ダムヤーク」では常体と敬体とが混合していたし、「コマネチ」ではネタツイート風の文があったし、「童Q正伝」などではアダルトビデオのタイトルが頻出する。「コマネチ」で〈でもそれは自分が相手を殴り倒すイメージばかり持っているからで、実際に一発でも鼻面にブチ込まれたら即ごめんちゃいだろう。〉という一文を読んだときは、「ごめんちゃい」という語が自然と小説に馴染んだ状態であらわれたことに感動した。こうした例から確認できる、小説らしさという抑圧を横目に、現実に存在する文章/文体を模倣/引用して小説に落とし込んでいくその態度は、言語の可能性の拡張にたゆまず挑み続けているようでもあり、言語表現者としてあまりに真摯であるようにすら感じられる。それでいて圧倒的な可読性の高さと読みのリズムの良さ、読みの中毒性も兼ね備えており、こんなに巧みに日本語を扱えるひとはなかなかいないのではないか。そういえば「愛の様式」の感想を整理してちゃんと書きたいなあと思っていたのだが、ウェザーニュースライブに没入してしまってすっかり忘れていた。どこかで読んだり調べたり書いたりする時間を設けられるだろうか。それはさておき、この日記の締めが一向に思いつかず当てもなく書き進めてしまっているが、はやく眠りたいからもうこのまま終わる。文が荒れている気がするが眠いから推敲もしない。明日の朝にも持ち込まない。眠いし、面倒だから。面倒だけどおもしろいから一丁気合い入れてやるか、みたいな意気込みで臨める目標やそれに取り組むだけの時間がほしい。
日記210525
カテゴリー: 日記