朝の五時半に目を覚まして、ちょっと早いなと思って六時まで寝る。カーテンを開けたまま寝ると日の出に合わせて自然と目が覚めてくれる。六時にふたたび目を覚まして、ベッドのうえで横になったまま枕元に積んである本を読む。区切りのいいところで読むのをやめて、また眠る。つぎに目を覚ましたのは八時過ぎだった。パソコンを持って近所のマクドナルドへ行く。途中まで書いて放置していたものを書き進め、なんかいまいちだなと思って読書に切り替える。近代において天皇とは陸海軍を統帥する大元帥、平たく言えば軍人であり、明文化されるより以前に天皇の軍人としての機能が経験的に周知のものとして了解されていたために、大日本国憲法が成立する際には軍隊に関する条項は細かく規定されなかったとのことだ。また、一九一〇年に制定された皇室身位令には第十七条「皇太子皇太孫ハ満十年ニ達シタル後陸軍及海軍ノ武官ニ任ス」とあるが、ここに適合する者は昭和天皇しかおらず、条項通りに十歳から軍に入り、着々と昇進して二十四歳で大佐に、二十五歳で天皇、つまり軍の大元帥となった昭和天皇は、天皇とは軍人であるというテーゼを体現した唯一の皇族であったという。店内には家族連れの客が増え、すこし混雑してきたから、アイスラテを飲み干して店を出る。
山田亮太の新詩集を買いに明大前の七月堂へ行く。店内には珍しく五名もの客がいて、人数制限とかあるのだろうかと様子をうかがいながら入店すると、若い男女二人組は入れ替わるように退店し、客は四名になった。邪魔にならないようにリュックをからだの正面で持つ。古本の詩集の棚から一冊と、詩誌『Aa』の最新号、山田亮太『誕生祭』、山田亮太氏も参加している詩誌『権力の犬』を手に取って、この辺でやめとこうかと思ったときは歳下くらいに見える女のひとがちょうど会計の最中で、その後ろには歳上くらいに見える男のひとが本を持って並んでいたから、また古本の詩集の棚を眺めてレジがあくのを待つ。女のひとは約四〇〇〇円の会計額で、男のひとは領収書をもらっていた。待っている間に一冊増えた本の会計を済ませると、七月堂がフェアとして制作した無料の冊子をいっしょに渡してくれた。直前に会計を終えた男のひとは店内で同伴者と話をしている。店を出ると、右手向こうの曲がり角手前に、男のひとの前に会計をした若いひとが直立してスマートフォンを操作しているのが見えた。詩を読むようになってまだ日が浅いが、詩を読む、特に現代詩を読むひとの数はたぶんそう多くはない。しかし詩集を出版するちいさな会社が、こうして主に詩を扱うちいさな古書店を営んでいるおかげで、そのちいさな店舗ゆえに互いの顔がはっきりと見える距離で詩を好んで読むひとたちの姿を確認できて、また、ああこんなひとがこの詩集を買っているんだなと読者の雰囲気を感じられて、そういう詩を読む上ではまったく不要な体験や情報が文化のためにはじつは重要であるようにも思えて、詩を求めてひとが行き交う場所がこの先も守られてほしいと切に思う。文化はひとよりえらいが、ひとがいなくてはむろん文化は育まれないし生まれすらしない。そもそも文化それ自体がひとびとの交差のあらわれである。交差をもたらす拠点のような場所──かならずしも物理的空間としての場所でなくてもよい──は、あらゆる文化、あらゆる生活を豊かにするうえではきっと無視できないはずだ。
つつじヶ丘の柴崎亭でラーメンを食べる。ツイッターによると、開店前から昼過ぎまで、ウニがのった限定ラーメンが提供されるとのことで大盛況だったらしい。祭りのあとの、しかも昼時をとうに過ぎた中途半端な時間で空いている店内でいつものラーメンを食べる。ラーメン界隈にもひとが集う場所があり、いつものラーメンがいつもおいしいことも、そういう共同性に支えられている面があるのだと思う。
日記210605
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