じぶんの手首を見て、細いな、と思った。手首に沿って指を回すともうひとつ手首が入りそうな隙間ができるが、これはさすがに誇張がすぎるか。でもシャーペンが四、五本は入るかもしれない。視線をずらすと腕の皮膚にできた赤い斑点。毎年暑い時期になると身体中の皮膚が赤くなる。主に首回りや脇や背中、鳩尾周辺、肘の裏を中心に腕全般。皮膚科でも受診をすれば何らかの症状名が与えられるのかもしれないけど一度も診察を受けたことがない。湿疹とか汗疹とかたぶんそんな類いの名前をもらいにいっても損ではないのだろうが、少なくとも中学生のころから赤い斑点(点どころか面と呼ぶほうが適切に思われるくらいその赤みは広範だ)はあらわれていて、そのせいでいままで困ることがあったわけでもないから医者にかかるだけ無駄である気もする。真夏には汗をかいたときに首の後ろや背中に針を刺されたみたいな痛みを感じることもあるが、基本的には皮膚が部分的に赤くなるだけで、皮膚の状態がどうであろうと生活上一切の支障は感じない。たしか兄の身体にも同様の現象が起こっていたはずで、兄は一度、親の手により皮膚科に連行されていた覚えがある。一度行ったきりで定期的な通院はせず、もらった薬も面倒だとほとんど使用していなかったから、特に症状は変わらずいまも同じ状態にあるのだろうと思う。兄とは二〇一八年の四月に会って以来、特に連絡はとっていない。母とは二〇一八年の七月以来会っていない。二〇一八年七月以来、帰省というものをしていない。帰省。生まれ育った地はいつまで帰る場所でいるのだろう。さほど馴染みを感じていなくても、さほど愛着を覚えていなくても、たとえば海産物を食べたいと思ったときに、真っ先に想起するのは男鹿半島だ。もしくは秋田市民市場や道の駅岩城にある活魚センターやかつてそこで食べた岩牡蠣のことだ。知っている固有名がそこに集中していて、他方でそこ以外の固有名に疎く、全国的に有名であっても知らなかったり訪れたことがなかったりするということが、秋田のみに帰巣性が立ち上がり、他の地域には立ちがらないことの働きとなっているのだろう。思い入れの有無にかかわらず、ある地域にある程度の期間住み続けることは、その地に訪れた際の来訪の感触を喪失させる。来訪の地でないことが逆説的に帰る場所として地元を縁どるとするならば、この先もおそらくは生まれ育った地は帰る場所であり続けるように思われる。それがたとえ今後足を踏み入れる機会に恵まれなかったとしてもだ。
日記210611
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