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日記210616

 寝転んで、天井を眺めて、雨音に耳を傾け、本をぱらぱらとめくって、目をつむって、その合間合間にキーボードを打ってはやめて、打ってはやめて、打ってはやめる。腑抜けた状態でもなんやかやで千字程度書き進む。一日かけたことを考えれば、むろん進捗はよろしくない。週末にはきちんと手を入れなければならない。もつれてしまって解消したい主題があり、できればそれを誰かに話してしまいたい。壁に向かって話す。コーヒーフィルターが残り一枚だったから外出する。柔軟剤も切れかかっていることを思い出したのは出発時点で、コーヒーフィルターを買う頃にはもう忘れていた。帰宅して、冷蔵庫を開けると、たまごの残りが一個だと気づく。冷蔵庫にしまい忘れていた豚こまを捨てる。ぬれた机を拭こうと思ったらティッシュペーパーがない。ここ数日はやけに買い物が多い。刺身や寿司でまぐろの人気があるのは赤くて写真映えがいいからという話を聞いて納得する。焼き海苔にわさびをつけて食べる。喉元にウォッカを通過させる。見て聞いて体験した出来事を記述するだけの文に締まりを出すにはどんな手立てが考えられるか。とつぜんに説明的で自省的な文が挿入されるのは疑いようもなくルール違反だ。外在的要因に由来する書記行為の主体性は、書くことよりもむしろ書かないことによって立ち上がる。するとここに記述されなかった出来事とは何か。あまりにあたりまえで記すほどでもないと捨象してしまっている習慣やより私的で秘密裏にしていたいこという判然とした事柄ではなく、天井を眺めてから雨音に耳を傾けるまでの間や、雨の音と同時にとつぜんの豪雨に高揚する小学生の声が聞こえていたことや、ぱらぱらとめくった本に何が書かれていたかなど、書くことによって書き落とされ、もしくは感傷的な判断によって恣意的に書かないことが決定され、それともそもそも一般に類型化されていないために流されるままに容易に簡潔に記述できなかったり技術の伴ってなさゆえに書かれなかったりする事柄が、遡行的に記述者の身体を仮構するということはたぶんある。だからこそ、まぐろやえびやかにの写真を彩る赤さなんかで騙そうとしてはいけない。

カテゴリー: 日記