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日記210807-08

Draw & Guess』というゲームをやった。ひとりが単語で示されたお題の絵を描き、他のひとたちは書かれた絵のお題が何かを当てるという単純なゲームではあるが、他者を通じて記号・表象・図像を往還することによって生じるずれを前提とするゆえに、描いた絵が伝わった/描かれた絵を理解できたときにうれしさを感じられるというこのゲームの魅力は、日常における言語コミュニケーションにおいても通ずることでありながらついぞ忘れてしまっていることでもある。わかりあえないからこそ意思の疎通に成功したことを喜ばしく思える。しかし当たり前のように他者と関わり生活する日々のなかで、いつからか言葉を適切に用いれば他人と容易にわかりあえるものだと思い込んでしまう。それは端的に誤りで、私たちのコミュニケーションはいつだって齟齬だらけであるにもかかわらずなんとなく成功している(ことになっている)。たとえば至極単純に、「冬」や「12月」と言っても札幌のそれと那覇のそれとではその風景は異なるし、同様に「海」や「海岸」と言っても日本海側と太平洋側とではやはり異なるだろう。同一の記号からなにを想起するかは記号を見る主体の経験に由来しているが、そうした差異を厳密に精査することが求められる場面はおそらく相当に少ない。言うなれば、個々のイメージの解像度を下げ、デフォルメすることによってようやく他者への伝達は可能となる。このようなコミュニケーションにおける原理的とも言える側面について、むしろずれることをおもしろおかしく受け入れながら、そしてズレのおかしさを共有することによって他者と関わることを可能にするという点で、『Draw & Guess』はいいゲームだと思う。

カテゴリー: 日記